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2009年1月31日 (土)

成功、改善、変化、シフトアップ

 「意味ある人生」とは何だろう。「価値ある人生」とは何だろう。私は、「成功の人生」、「改善の人生」、「変化の人生」、「シフトアップの人生」が、意味(価値)のある人生ではないかと思う。

①「成功」の人生

 「成功」とは、「目標」が「達成」されることである。したがって、成功には「目標」が必要不可欠な「要素」だ。“最初に”目標があって、それに一歩づつ向かう人生は、「意味ある人生」だ。

 就職するために活動するのは、「意味ある人生」だ。サラリーマンが、独立することを目標に試行錯誤するのは、「意味ある人生」だ。オリンピック6位以内入賞を目標にして練習するのは、「意味ある人生」だ。歩けない人が、歩くために努力するのは、「意味ある人生」だ。

②「改善」の人生

 一度達成したものを、「修繕」したり「改善」することは「意味ある人生」だ。実用しているうちに、必ず不具合が出る。より磨かれたものづくりを目指すのは、「意味ある人生」だ。トヨタ自動車の「カイゼン」は世界的に有名である。

③「変化」の人生

 バリエーションを揃えるのは「意味ある人生」だ。形、色、大きさ、素材、場所などを変え、または増やすのは「意味ある人生」だ。

④「シフトアップ」の人生

 年俸500万円を達成した人が、目標を1000万円にシフトアップするのは、「意味ある人生」だ。就職した人が、目標を係長や課長昇進にシフトアップするのは、「意味ある人生」だ。歩けるようになった人が、マラソンを完走しようと努力するのは、「意味ある人生」だ。

 ①は、全く次元の違うところへ行こうとするもの。②~④は、①を基準に「進化」しようとするものだ。

 ①は、「社員側」から「経営者側」、「自分中心」から「仲間重視」、「成長重視」から「環境重視」、「製造」から「セールス」、「仕事中心」から「家庭中心」などのように、“価値観”、“見方”、“立場”が変わったとき生まれる「新たな目標」へのチャレンジだ。

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2009年1月30日 (金)

今日一つ

 小学生の娘と「成功の本」を読んでるが、一つの項目が短い文章であるにもかかわらず、項目を二つ読もうとすると、なぜか続かなくなる。

 それは、文章が「頭」で理解できても、「潜在意識」に入っていかないからだと思う。人は頭で理解したことを、「潜在意識」に送り込み、そこで情報を再処理して、自分の“血肉”とするのではないか。

 「一つ」の知識を、実践に役に立つ「知恵」に変換させるために、眠りを伴う「一日」の時間が必要なのではないか。

 成功の法則は、一日一回、同じ場所、同じ時間に行う(学ぶ)こと、といっているが、同じようなことではないかと思う。「今日」という日に、何か「一つ」潜在意識が受け付けるのかも知れない。

 今日学んだ「一つ」をテーマに、それを「自分の人生に当てはめればどうなるのか」、構想を練って、眠りにつけば、あとは潜在意識がはたらいてくれる。自分の人生に生かす「知恵」を「ひらめき」という形で与えてくれるのだ。

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2009年1月29日 (木)

「社長」の時代は終わった

 「江戸時代」は、「お殿様一人」が一番偉い人、「絶対権力者」だった。それが、現代になって「社長の数」だけ「絶対権力者」が増えた。これは、「権力の一般化」、「権力の大衆化」現象だと私は感じている。したがって、この現象、この流れは今後さらに進んでゆくと考える。

 だから、「お殿様」が時代から捨てられていったように、「社長」もいずれ時代から捨て去られてゆく日が近いうちに来ると思って間違いない。

 事実、「絶対権力者」として権威を振るっている人が「社長」をしている会社が、バタバタと倒産しているのではないか。「官僚」も、そんな社長の“バック”で偉くなったような人が引きずり落とされている。これは時代の流れ、宇宙の法則で、誰にも止めることの出来ない「進化」だと思う。

 時を同じくして政治の世界でも、アメリカでは「企業代表の共和党」が破れ、「大衆代表の民主党」が政権を取った。日本においてもこれから同じような現象が起きてこよう。

 これからの時代、「社長」はどうあるべきか。「利己的な思考」を捨て、大衆のために行動を起こすときが来た。時代を最も敏感に感じ取る能力を持っている「ビル・ゲイツ氏」は、自らの財産の多くを「寄付」するという行動に出たのは周知のことだ。そして彼は、自分以外の経営者達に、同じような行動を取ることを呼びかけている。

 私の今回の新規事業も、小さい金額ではあるが、見返りをほとんど期待しない「雇用対策」だ。“自主的”にお金を世の中のために捨てることの出来ない「社長」は、“他力”によって奪い取られてゆくのだと思う。

 これからの時代に求められるのは、「本物のリーダー」である!!

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2009年1月28日 (水)

天・地・人

 「天・地・人」はNHKの大河ドラマのタイトルだけど、私はずーと前から「“天”の神、“地”の神に喜ばれ」てこそ、成功者になるのだと自分に言いきかせてきた。そして最近、「天・地・人(てんちじん)」だよな!!と“さらに強く”納得するようになった。

 「天」とは、理念であり、ポリシーであり、考え方である。「地」とは、それを実現する場所や時代のことである。「人」は人間、世間、社員、お客様だ。

 “崇高”な「理念」がなくて、どうして成功などありえよう。お金儲けしようと考え、そのとおりになるなら「天」は不要だ。しかしそうはいかない。お金を得ようと思えば思うほど、お金は離れてゆくものではないか。

 そして、最近感じているのは、理念の実現には「場所」の選定が何より大きい“要素”になってるということである。私が成功しているのは「場所」が大きく影響していると思うようになったのだ。

 昔こんな話を聞いたことがある。あるトップセールスマンは、営業のため他の地域(たとえば他県、他国)にゆこうとして、その地域との「境界線」を越える時、「どうか私を受け入れて下さい」と、お祈りしてから入ったという。これはその地域の「地の神」への挨拶だ。

 私たちは、「お客様」と会う前に「地の神」に会っていたのだ!!こんな基本的な真理がわからないで、「お客様」ばかり優先させるのは、友人の家に遊びに行くとき、親に挨拶しないで家の中にあがり込むようなものではなかったのか。

 いかに「地の神」に「守られ」、「許され」て生きてきたか。「隣人」とは、「地の神」の縁によって結ばれたものである。商売をしていればなおさら「地」をとおしての縁に崇敬の念をもたなくてはならない。

 現在の(残っている)店舗は、皆すばらしい場所にある。自宅も田舎ではあるが、「ほっ」とする風景が広がっており、何代も続いている。最近、「地の神」に守られているとつくづく感じている。したがって、今の私の行動基準は、いかに「その地の神」が喜ぶようなことをするか、ということである。

 「天」が喜ぶ崇高な理念をもって、「地の神」が喜ぶようなことをし、「人」につくせば、成功しないわけがない。今度の新店舗も本当にすばらしい場所だ。そこで「地の神」、そして「社員」、「お客様」に喜ばれるよう精進したい。

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2009年1月27日 (火)

「眠り」はひらめきの宝庫

 アニメ漫画家の宮崎駿は、仕事中に「ちょっと眠ってこようか」と言って、よく横になるそうだ。それは、彼ばかりではなく、創造的な仕事をする人の特徴でもあるという。

 私の大先輩の社長も、夜布団の中で思いついたことをやりたくて、朝になるのが待ち遠しかったと話していたのが忘れられない。

 最近の私も同じような毎日を過ごしている。とにかく、やりたいことがどんどん湧いてくる。しかも、ちょっと「ウトウト」しているとき、どこからとなく「ひらめき」がやってくるのだ。だから、意識的に眠りの時間を持ったほうが良いかも知れない。

 これは、「生き方」にも原因があるような気がする。「自然の法則」に「自分の人生が合致」してくると、天から情報が降りてくるのかも知れない。最近の私は「自分」という意識から離れて、「自然体」になってきている。

 また、社員に対しても、その人がやりたかったり、休みたかったりする気持ちを尊重するようにしている。「今日休ませてください」、「ОK!!」だ。そうすると、いつしか創造的に仕事をしてくれるようになるみたい。

 眠りから「情報」をもらえるくらい、「真剣」に思いつめて生きたい。

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2009年1月26日 (月)

「目標」に集中

 「目標」に向かっているときは、誰が話しかけても反応しないくらい集中している。話しかけた相手に悪いけど、全く無視する。

 湧いて来ようとする「ひらめき」と“静かに”対話がはじまりそうなときがある。そんなとき誰かが声をかけようものなら、「ごめん!!」と一喝して、それ以上近寄らせない。

 そんな時があってもいいんではないか。

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2009年1月25日 (日)

目標設定に「数字」を入れろ!!

 人生をエネルギッシュに生きている人は、目標設定に「特徴」があるのではないか。

 それは、目標設定に「数字」が入っているということだ。セールスマンであれば、「500枚」の顧客カードを持つとか、年間「一億円」売り上げをあげるとか、スポーツ選手であれば、「6位」以内に入賞するとか、「2年後」に「日本一」になるとか、とにかく「具体的な数字」に表せる目標を持っている人は“強い”。

 単に「家を作る」ではなく、「30歳」までに「500万円」貯めて、「家を作る」準備するというように、「具体的に数字を出して」目標を立てるのだ。

 私も、当社の一店舗あたり目標とする「売り上げ件数」、「売上高」について具体的な目標があり、それに達しない場合は、皆が反対しても、「すばやく撤退」し、「次善の策を立て」てきた。自然体で、無意識のうちにではあったが、それほど「数字」にこだわって動いてきたような気がする。だから、好結果を生んできたのだと思う。

 人生を「数字」で表すことは、人生を「デジタル」に表現することだ。「デジタル」に立てた目標を“潜在意識”が「アナログ的」に必達してくれるのかも知れない。

 今の自分の目標はなんだろう?これからは、“意識的に”「数字」を入れて生きてみよう!!

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2009年1月23日 (金)

自分にとって「ベスト」とは

 “自分にとって”「ベスト」とは、自分の「実力の範囲内で取り扱い可能」なことだ。他人にとって「普通のもの」でも、自分が手を加えれば、「かけがえのない宝物」に変わりそうだと思うときがある。

 一関霊園も、価格が高く、誰にとっても手に負えない「ただの荒地」だった。霊園を開発して利益を上げようと考える人々にとっては、採算に合わない物件だった。しかし「お墓屋の私」なら、「ベストの物件」に仕立てる可能性があるのではないかと考えた。

 お金がある「不動産屋」とか「建設業者」は採算に合わないから手を出さない。一方「お墓屋」は皆小規模業者だから、お金がなく手を出せない。そうして長年放置されていた物件が、私の“ラブコール”をきっかけにいっきに動きだした。

 長年放置されていた物件だから、私の価格引き下げの要望にも応じてくれた。それでも一般の人にとってはまだ採算が取れないくらいの高値だったが、お墓屋の私は“使命感”で「決断」したのである。

 そして私は休日返上、無給で何ヶ月も造成にとりかかり、いろんな偶然にも助けられ、とうとう採算ラインにこぎつけてしまった。私にとっても、一関市にとっても「宝の山」になったのである。

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2009年1月22日 (木)

デジタルに生きよ!!

 アナログ人生を捨てよ。そしてデジタルに生きよ!!

 アナログは、6時56分も58分も、7時2分も6分も、全部「今7時00分!!」となる。しかし、今や“微差、小差”が運命を左右しているのではないか。

 海岸線の別荘では、海岸の前にある物件と、道路をはさんだ後ろにあるものとでは、距離が30メートルも違わないのに、価格が3倍違うそうだ。一方が3000万円なら、他方が1億円するということだ。

 今まで自分の人生を「大枠でくくる」ようにして生きてきたけど、それでは常に“ベスト”のものを手にすることは出来ない。

 「お墓」とか「不動産」とか「食品」とか「事務用品」とかいうように「大枠」の中で未来をさがすのではなく、お墓の中で一番のお墓、不動産の中で一番の不動産、また、それらに一切こだわることなく、目の前に現れた「一番のもの」に素直に反応し、仕入れておかなくてはならない。“ベスト”だと直感したら、何にでも反応させるのだ。

 お客様は常に“ベスト”のものを求めてくる。“ベスト”のものであれば必ず売れる!!

 だから、「大枠(アナログ)」の中で“のんき”に生きていないで、最高の商品、人生をつかんで楽しもう!!自分が“楽しく”、“最高”であれば、必ずお客様もわかってくれる。換金可能なのだ。

 「米(こめ)」という「大枠」で全ての米が売れるのではなく、「観光地」ならどこでもよいというのではなく、「女性(男性)」なら誰でも良いというのではない。自分が「これだ!!」と思ったものに「デジタル的」に飛びつくのだ。

 私がお墓屋をはじめて、わずか3年目、お金がなかったころ、1億の借金をしてもほしいと思って、そして実際1億借金して手に入れたのが「一関霊園」だ。それは今、一関で唯一「宗旨宗派を問わない霊園」として大好評となっている。(借金も何年も前に完済した。)

 お金がないこと、お金を失うことが怖いのではない。“ベスト”のものがわからなくなったら「おしまい」なのだ。それは、“自分にとってベスト”であれば「それでいい」と、私は考えている。他人(お客様)の目を全く気にしないで、「自分がほれ込む」ことが一番ではないのか。

 デジタル人生には大きな可能性がある。それは、ひらめき、めぐり合いの世界だ。

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2009年1月21日 (水)

それぞれの「美学」

 経営者には経営者の「美学(こだわり)」があるように、職人には職人の「美学」があり、セールスマンにはセールスマンの「美学」があるのだと思った。

 「現場仕事」や「セールス」を、全て経営者の「美学」によって組み立てようとすると、「足りないもの」、「段取り不足」のため、仕事が乱れ、良い結果が出ない。

 全ての判断と責任を求められるのが経営者だけれども、職人やセールスマンが動きやすい環境を、それぞれの立場に立って考えなければならないと思う。

 各担当から、報告、連絡、相談(ほうれんそう)が入った時、「放ってても大丈夫」などど簡単に考えると命取りになる。それぞれの「美学」を生かすのも経営者である。

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2009年1月20日 (火)

「勘(かん)」で分かるか

 経営の神様といわれている松下幸之助氏は、「勘(かん)」で分かるようにならなければだめだ、と言ったそうだ。

 コンピューターを使っていろいろな資料を出さなければ判断できないようでは時代に乗り遅れる、というのだ。結局「人間力」が全て(成否)を決定するのだ。

 大会社が何百億もの赤字を出すのは、「人間力」に欠ける人がリーダーとなっているからではないか。損失を、世の中のせいにしているようでは、本物の経営者ではない。学校で「優等生」の坊っちゃんが社長をしてるに過ぎない。

 当社のような小さな会社は、社長の「人間力」だけで生きてるようなものだ。社長の「勘(かん)」、「思いつき」、「ひらめき」で全ての難関を乗り切ってきた。それを私は「弱い」と思ったことはない。むしろ、どこよりも、どんな大会社よりも強い体質だと考えている。

 自らの「勘(かん)」をはたらかせて“自己責任”で生きる、百戦錬磨の野生人が、いつの時代にも生き残るのだ。

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2009年1月19日 (月)

宝の山

 成功者になれるのは、2パーセントの人だという。エジソンは「天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの努力の賜物である」と言った。

 エジソンがそこで言いたかったのは、単に「努力せよ」ということではなく、「最初のひらめきがなければいくら努力しても無駄だ」ということだったという。

 99パーセントを占める「努力」より、1パーセントの「ひらめき」の中に、成功の種子が含まれているのだ。そこに「宝の山」があるのだ。

 「ひらめき」を単なる「思いつき」、「夢物語」として捨ててしまうか、それを「人生の目標」として大切にするか。2パーセントの成功者になるか、98パーセントの凡人で終わるかの分かれ目である。

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2009年1月18日 (日)

「ひらめき」と「めぐり合い」

 「頭の良さ」なんか関係ない。

  ①その人が「何を考えているか」

  ②「どんな夢を見たか(ひらめいたか)」

  ③そして「最良のものにめぐり合ったか」

 これで決まる。

 人の成功は、「努力」が99パーセントだと言われてるけど、1パーセントの「ひらめき」を信じて努力する人だけが成功を勝ち取るのだ。99パーセントの努力より、1パーセントの「ひらめき」や「めぐり合い」のほうが、重要なのではないか。

 自分の考えだけで進む人より、「ひらめき」を信じ、「その夢」を実現するために「努力」する人が成功する。人の「考え(計算)」なんて、たかが知れたものだからだ。「ひらめき」を信じてやれば、運命が大きく変わってゆく。

 「生きてゆく」とは、考えられない方向へ「変化してゆく」ことである。

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2009年1月16日 (金)

100年事業

 何事も「100年」続ける気持ちで取り組みたい。「うわべ」をとりつくろったものは通用しない。「本物」しか選ばれない世の中になった。「本物」とは何か。「100年」続けられるものである。

 今から10年くらい前、当社のお客様で、70代の奥さんが、「サラリーマンにも、“サラリーマン道”というものがあるんだヨ。」と言ってたことが忘れられない。代々サラリーマンをやってきた家系だと思うが、立派な考え方だと思った。

 「100年」続けるとは、100年進化と変化を続けることである。自分(の代)だけでなく、次の時代、次の次の時代(三代)までかけて、極めていきたいものは何か。それを模索しながら、目の前の物事に対処してゆきたい。

 そう考えると、気持ちがブレないんではないのか。

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2009年1月14日 (水)

なぜ「小さい人生」になるのか

 何億もの大きな売り上げをあげ、世の中に貢献している人がいる一方、今日暮らして行くのが精一杯という「小さい人生」を歩いている人がいる。

 その違いは、「自分だけ食べてゆけば良し」という考えで生きているか、自分を超えて、「親先祖がやりたかった夢を実現するため」、また「孫末代の幸福のため」と考えたり、「隣人、友人、世の中のために役立つのが自分の役割である」と考え生きているかの違いである。

 自分が生まれてきたときがスタートではなく、自分が死ぬときが終わりではない。生まれてくる以前の「先祖がいだいた目的」、自分が死んだ後、「子孫に引き継ぐべき使命」をもって生きているか。自分を超えて、「隣人、友人、世の中のことまで心配」しているか。

 ゴールが「自分のため」だとすぐ達成した気になるけど、「過去、未来、そして他人、世の中のため」に生きていると考えると、いつまでたっても休めない。知らないうちに「大きな人生」になってゆくわけだ。

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2009年1月13日 (火)

「成功者」と「そうでない人」

 お墓屋でもいい、ラーメン屋でもいい、洋服屋でもいい、何でもいいのだ。あの商売は良くて、この商売はダメだという区別はない。

 ただ、どの世界、どの商売でも、「成功者」と「そうでない人」の区別があるだけだ。同じ商売をやっていても、店を閉めて業界を去ってゆく人と、業界のリーダー的存在となって、繁盛してゆくところがある。

 勝ち組になる人には「共通の要素」があるナ。着眼点(攻めるところ)が違うだけだと思う。

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2009年1月12日 (月)

家族新年会

 昨夜、急きょ「家族新年会」をした。長女夫婦が泊りに来ているし、当社も社員が連休だったので、家族で一泊しようということになったのだ。

 当一関では、昨年の地震の影響で、温泉宿の予約が減っているということを聞いていたが、厳美町の「瑞泉閣」に電話したら部屋が空いていたので、当日予約できたのも幸いだった。

 私夫婦と長女夫婦、孫、小学生の次女、母の計7人の家族だが、女性達が非常に喜んでくれたので、私としても気持ちが良かった。長女の夫と風呂に入りながら、「今後どうするんだ?」などと久しぶりに話をしたら、「今の会社を辞めて、今年から一関(我が家)に帰って来たい」などと言うので、こちらも急きょ当社で働いてもらうような方向になったが、我が家の「跡取り」なので、お互いにとって良かったのかも知れない。

 小学生の次女と毎日読んでる「成功の本」によれば、人生は、「仕事」と「プライベート」というような分け方をするのではなく、全てが「プライベート」なのだという。その中でも家族とのふれあいは、仕事と同じように、非常に重要なものだと書いてあった。仕事もプライベートなんだよナ・・・・・・。特に私の場合は。

 当社の新年会も今月予定してるが、地元応援という趣旨で、暖かい対応をしてくれた「同じ宿」を使おうと、帰りに予約してしまった。・・・・急きょ。

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2009年1月11日 (日)

私は私

 「誰かのために生きる」って言っても、「私は私」。「私流の生き方」しか出来ないのだ。だから、その範囲内で「誰かのために役に立つ」方法を考えるということになる。

 私は、土木や建築のデザインに対して興味がある。墓石のデザインや店舗建築は得意とする分野なので、楽しくここまでやってこれたのだと思う。「金融感覚」や「時代感覚」、「積極的な思考」も私の特質だ。

 「目標の数」が成功の基準だというが(12月18日ブログ)、常に自分と向かい合い、自分が得意とするものを理解し、生かせる分野を“数多く”プールしておけば(貯めておけば)、目標を次々設定することが出来ると思う。

 私は意識的に自分(の商品)が、「次の時代」や「別の地域」・「他の世界(業種)」で通用するかを、いつもシュミレーションしている。そして自分が生かせるところがあれば、それを目標にチャレンジするようにしている。

 今回、食の世界との出会いも、そんな「自分を生かそうとする過程」で生まれた産物かも知れない。自分が出来ることしか出来ないが、今までの失敗や成功の経験を踏まえ、いろんな人達と提携しながらも、私流に生きて行きたい。

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2009年1月 6日 (火)

キャッチボール

 キャッチボールの基本は、「相手と体が触れ合うような近距離」からはじめることだという。そうすれば、どんなにキャッチボールが不得意な相手でも、確実に玉を受け取り、またしっかり返してくれる。

 そうして慣れてきたら、徐々に互いの距離を離してゆくのだそうだ。

 人間関係も同じだナ。できるだけ近づいて、体が触れ合うような距離でコミュニケーション(心のキャッチボール)したらいいと思う。よく、子供を「ギュッ」っと抱きしめなさいっていうけど、親子が分かり合えるようになるのも同じなんだナ。

 親が、わかったふりして、高所からものを言っても、子供はちっとも受入れてはくれない。子供の所に下がってきて、同じ目線で、体が触れ合うような近くで話さなければ通じないんだナ。

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2009年1月 5日 (月)

三位一体(さんみいったい)

 三つのものが合体することを「三位一体」という。事業(商売)も「三位一体」でなければ、成功することはないと思う。 

 まず、最も基本となるものは「技術」だろう。技術というのは「マニュアル(言葉)では表せない精巧な仕事」である。「技術」なしの事業(商売)は考えられない。ここで中心になるのが「職人」だ。

 しかし、良い仕事をするからといって、生きていけるわけではない。その技術をお客様の仕様に変更し、セールス出来てはじめて買ってもらえるのだ。職人の仕事を理解して、お客様の要望に自在に応える「セールスマン」の存在が欠かせない。

 さて、「職人」と「セールスマン」がいれば全てうまくゆくだろうか。世の中は刻々変化している。今までの技術では対応できない状況が必ず来る。世の中に対応し、技術を進化、変化させ、新商品を生み出し、事業を永続させる役割を担うのが「経営者」である。

 「経営者」、「職人」、「セールスマン」が“三位一体”となってはじめて、事業が継続してゆくのである。

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2009年1月 4日 (日)

誰かのために生きる

 私の今年の目標は、「誰かのために、一生懸命になる」ということだ。もう自分の「器」には、自分の“ほしいもの”がいっぱい入って、満杯になっている。したがって「自分を基準」に考えると、なにもかも“行き詰まる”ようになってるみたいだ。

 自分の「器」を広げ、行動範囲を広げるためには、判断の基準を「自分のため」から「他人のため」、「誰かのため」に大きく“方向転換”しなければならないと思う。

 具体的には、まず「社員のため」だ。当社には技術の優れた「石工事職人」が多くいる。石工事は特殊な技能だ。2、3年修行しても身につくものではない。20年以上経験を積んだ先輩職人の下で、10年以上の現場経験をしないと一人前になれないのではないか。

 私は当社の「技術ある石工事職人」の仕事を確保するために「経営」しているのだ、ということを再認識しなければならないと思っている。今年は一人一人の仕事を見直すと共に、新しく画期的なアイデア商品を投入予定だ。

 それから今年は、新たに「佐藤さん」のために生きたいと考えている。「佐藤さん」は、ある会社で30年以上大工をやってきたが、仕事不足から大工をやめ、6年前にラーメン屋に転向、自分で経営するも行き詰まっていた。

 社員の紹介で知り合ったのだが、私の見るところ、立地条件が悪い。ラーメン作りはかなり修行しておいしいのだが、やはりどんなに小さい店でも「経営力」がほしいのだと思った。立地、需要喚起、商品構成、顧客層の見極め、営業時間、店頭広告など、改革すれば伸びると感じたので、当社のグループになってもらい、「経営力」を投入してみることにした。

 また、「千葉さん」のために、何か出来ないかとも考えている。「千葉さん」は、大工職人として現在一人で活躍するも仕事不足だ。当社の中古住宅のリフォームを担当してもらったが、一言でいえば「優秀な技術者」である。当社のリフォームだけでは年間を通じて仕事が安定しないので、何か「経営戦略」を提供したいと考えている。

 ハウスメーカーがマニュアル方式の新築ばかり手がけるため、リフォームできる本格的な職人がいなくなったと思う。「職人の技」を引継ぎさせておかないと、将来困ることになると思う。

 このように、誰か具体的に特定の人をターゲットにし、「その人が生きる道を考え、場合によっては資金投入」すれば、世の中は活性化してくる。それができるのは「“経営者”を職業にする人達」ではないか。銀行も「自分のこと」しか考えていないから、あてに出来ないのだ。

 自分の「家」や「車」ばかりを立派にして威張ってるのは「時代おくれ」だと思う。

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2009年1月 2日 (金)

目標がいっぱい

 新年明けましておめでとうございます。年末年始は久しぶりにゆっくり過ごしました。

 いつもは漫然と新年にのぞんでいたのですが、今年は、常に「目標」を持って生きようという考えに変わりました。「今ごろそんなこと言うの?」なんて笑わないで下さい。

 というのは、「目標とは、より高いところを目指すためにあるのではなく、後悔しないためにあるのだ」ということに気付いたからです(12月23日のブログ参照)。「目標は後悔の裏返し」だとわかったら、今まで気にしないように心がけていた「後悔を出来るだけ多く見つめてみよう」という気になった。そしたら、意外に後悔だらけ。そこで「後悔したくない」という思いから、やたら「目標を持ちたい!!」というふうになったわけです。

 「なぜ自分には出来ないのか」って思ったことないかナ。「やらないまま人生が終わっていいのか」って思わない?やらなければ「後悔する」と私は思う。後悔したくないなら、それをそのまま自分の「目標」にすればいい。

 そうはいっても簡単にこの思いに到達したのではない。葛藤は常にあるよ。銀行辞めたときもそうだった。生身の人間だもの。でも「なんとかして思い切る」ことだナ。中途半端な人生はいやじゃない?徹底的に生きたい!!

 今年の私は「目標がいっぱい」。意識して「後悔」を見つめ、それに負けないように生きたいからだ。

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