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2009年5月28日 (木)

どちらが大事か

 「仕事そのもの」も大事だが、「立派な社会人、人格者」になることがもっと重要だ。

 「人を作る仕事をしている」と言いたい。その「一環としてもの作り」があるのだ。仕事が大事か、社会人として立派な行動をとることが大事なのか、どちらか一方を取れと言われたら、後者を取る。

 でもそれは勇気がいることだ。会社で重要な仕事をしている人間が、その優位性を後ろ盾に、社内で横柄な生活態度をしていたとき、見過ごして生きるか、厳正に対処するかという選択だ。現実にはつい仕事を優先してしまい、中々厳しく出来ないのではないか。

 しかし私は勇気を出して厳正に対処してきた。それが当社(私)の活力の源(みなもと)でもある。そのために、私は常に「ワンマン」を演出している。「ワンマンである私が許せない人には辞めてもらう」ぐらいの覚悟が無いと会社はもたない。

 一番が「立派な社会人になる」こと、二番が「仕事」だ。この順番を逆転したら、社内は「仕事が出来る人」によって乱され、会社はすぐ倒産するだろう。

 倒産する会社のほとんどが、「仕事を優先」させているのだ。

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2009年5月22日 (金)

美人

 ラーメン屋さん(千歳橋付近、ラーメン市場)に「美人」が入社しました!!色気があり、しかも若い。

 同じラーメンを食べるなら、「美人」に作ってもらった方がいいナ。ネギ切りは上手だし、笑顔も良い。

 600円で、美人に会って、しかもラーメンが食べられる。こんな贅沢はない。

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2009年5月17日 (日)

体育系

 自分はどういう人間なんだろうと考えていたら、急に「体育系」だと思った。

 ブログ書いたり、仕事でも机に座っていることが多くなったため、自分は「文科系」だと勘違いしていたんではないかナ。

 でも、考えてみれば、中学校から40歳くらいまで陸上の「短距離」で、学校(中高)でも会社でも地域でも誰かに負けたという記憶がない「体育系」だった。もともと長距離の選手だったけど、肉体を酷使し、体調に左右される「長距離」より、確実に実力を出せる「短距離」で勝負していた。

 それが50歳を過ぎ、56歳にもなると、さすが「体育系」の看板をすっかり降ろし、わかった振りして「理屈」で生きていたのではないかと反省したのである。

 しかし、やはり「体育系」は所詮「体で勝負」するしかないんではないかってふと思ったのだ。プロ野球の選手でも、現役を引退しても輝いている人がいる。引退とともに落ちぶれてゆく人もいるが、その違いは、自分を「貫き通すかどうか」ではないか。

 今の仕事になって、自ら現場に出て「体で勝負(作業)」する期間が多かった。それが会社を発展させてきた一因でもあった。しかし、私を追い抜く社員が出てくるに伴い、次第に現場から遠ざかり、「理屈」を言いはじめているんではないか。

 「理屈」は限界がある。全て「やってみて」はじめてのり越えられるのだ。もう一度「体育系」で勝負できないか。年をとって出来る「技」があるという。柔道の「空気投げ」の境地だ。当社の年配の社員がこの前面白いことを言った。「疲れないで仕事をする方法を見つけました!!」と。

 「体力」が“無い”という前提で生きていたが、それは違う!!「体力」は“ある”のだ。しかも、自分には若い人を投げ飛ばす、何でも出来る「有り余る体力」が“ある”のだ。

 新しい時代を作るには「現場主義」しかない。今の年齢になってできる「誰にも出来ない境地、技」の世界がある。「理屈」はいらない。

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2009年5月15日 (金)

まわり道

 この前、近所の90歳をだいぶ過ぎたおじいさん(高橋敏一さん)から、「小さい頃農家が嫌で、家出して親類のところに行ったら、その親類から楽な道を歩こうとしているんではないかって叱られた」という話を聞いた。

 「まわり道するようでなければだめだ。しっかり田を耕しなさいと言われた」というのだ。

 なぜか自然に納得できた。いつの時代も同じだと思った。でも、分かっているけど、つい近道をして、つまづいてばかりいるんだナ。

 「まわり道」って何を目指す道かナ。つまづいてばっかりいるから、これが結局まわり道で、このままでいいのかもネ。・・・・・・・?

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2009年5月14日 (木)

身体能力

 身体能力は、その人が生まれながらに持ってる身体的特殊性だ。私は、いくら3歳からピアノを習っても、絶対うまくならないという自信がある。

 また、同じように、イチローみたいなバッターにも絶対絶対なれない。努力とかそういう問題ではない。

 普通の男は女のようにはなれない。人それぞれに「身体能力」というものがある。それぞれが持っている「身体能力」を生かすこと。持っていない「身体能力」に期待しないことだ。

 それぞれに活躍する分野があり、活躍しよう(してもらおう)と考えてはならない分野がある。努力してはならない分野もあるのだ。

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一人にフォーカス

 「世の中のため」と言っても、対象が複数だったり、漠然としていては力が出ない。昨日テレビで、尾崎亜美さんが、他人のために歌を作るとき、その人のイメージをふくらませながら作曲するって言ってた。

 誰か「一人」のために、“自分の得意な何か”をすれば、対象が限定されるから、力が集中(フォーカス)する。経営や商売だって同じでないかナ。ただ「世の中のため」ではなく、「○○さんのため」って考えれば、すごいことが出来てしまうんではないかって思う。

 それに「世の中のため」というと、自分が“主役”だけど、「○○さんのため」というと、○○さんが“主役”になるナ。

 とすれば、“主役”を何人も作れることになるネ。自分を広げることになるかも知れない。

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ラッピング

 商品そのものも大事だけど、いかにラッピングするかで、その品物への「愛情」が決まる。つまり、お客様への「渡し方」だ。

 商品をただお渡しするような商売をしていないだろうか。私が言うラッピングとは、「包装」のこと(ばかり)ではない。言葉遣い、しぐさ、人格など全てにおいて「気遣い」なされているかということだ。

 ラッピングしない商売は必ず行き詰まる。

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2009年5月13日 (水)

変えてはならないものと、変えなければならないもの

 一度選んだ道(職業)は、簡単に変えてはならない。しかし仕事の中身は、相手や時代に対応して変えてゆかなければならないナ。

 バージョンアップや進化が必要だ。常に「革新」し続けるから、老舗(何年も続く店)になるのだという。

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続ける

 よく考えると、私はあまり「変化」しないで「続ける」ほうだナ。2~3年で仕事を次々変える人もあるけど、私の基本路線はほとんど変わっていない。

 今のお墓も、もう15年以上になっている。毎日毎日同じようなことを繰り返してるけど、やめない。

 その前の銀行も15年以上続けた。10年たった頃からいろいろな事が分かってきたような気がする。続けていたおかげで「たどり着いた真理」がある。

 もちろん銀行の仕事自体は、私が辞めた後も、後輩たちが「私の後を引き継いで続けて」いる。お墓も今や後輩たちが「私以上の仕事をするように」なった。

 結婚して来年で30周年になる。最近は、自動車も30万キロくらい、車が壊れるまで乗る。これだけ「長く続けている」人間って希少だナ。

 私って希少価値なのだ。その基本は「続ける」ことだった。

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2009年5月12日 (火)

捨てなければ得られない

 「変化」とは、大きくなることでも、追加することでもないから、今あるものを捨てなければ得られないというものだナ。

 「臨界点」までは「追加(バージョンアップ)」で対応出来るんだけど、「変化」しなければならないときは来る。

 「変化」するということは、以前のものを「捨てる」ことである。ラーメン屋では、営業場所を変え、営業時間を変えてみた。皆従来の習慣を捨てる、勇気がいる決断だったナ。

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ビジュアル(映像)化するのは未来社会

 昨日、成りたい自分をビジュアル(映像)化するって言ったけど、ビジュアル(映像)化するのは、「未来社会」の方だナ。

 変化してゆく未来社会に「対応する自分」が、未来の自分の「理想像」かも知れない。

 お墓であれば、今まではお年寄りが購入していたけど、未来の購入者は若者だナ。資金提供者はお年寄りかも知れないけど、「決定」の主体は跡継ぎになる若者だ。したがって、若者感覚での商品提供が大事だ。

 また、確実に老人社会になってゆく。寿命が延びて、老人がどんどん増えてゆく。したがって、お年寄り本人へのいろいろなサービスの提供が必要になってくるナ。

 そのように変化してゆく未来社会に対応してゆかなければならない。若者が皆元気良く働き、子供や老人が安心して暮らせる社会、そんな理想の未来社会をつくってゆかなければならないナ。

 皆、「身を削って」“体質改善”すればいいのかもネ。

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体質

 自分の体、家庭、会社が、環境のいかなる「変化」にも対応できる「体質」になっているかチェックしなければならない。

 トヨタ自動車だって、世界一の販売台数を目指そうと「体を大きくすること」ばかりに気をとられていたとき、大不況が押し寄せ、何千億円もの赤字に陥った。

 今、躍起になって、工場閉鎖やらリストラをし、「体質改善」を急いでいる。「身を小さくする」ということがいかに大事かってことだ。少ない食料(売り上げ)でも生きられる体質ってことかナ。

 環境整備(食料生産の確保、顧客の確保)と同時に、体質改善(少ない食料、顧客で生きられる体質作り、新たな食料、顧客を取り入れられる体質改善)してゆくことが大事だナ。

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変化

 「変化」とは新しいものを生み出すのではない。したがって総体が増すのではない。何かを追加するものではない。

 それは、形、色、味、機能などを、現在あるものと別のものに「取り替える」ことである。

 強いものや、大きいものが生き残るのではない。環境の「変化に対応出来る」ものが生き残るのだという。大きくなろうとする必要はない。力が強ければ良いというのではない。

 環境に対応して「変化」させてゆくのだ。常に変わってゆかなければならないのだ。

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2009年5月11日 (月)

新規でなくても良い

 新しく何かを始めるような状況ではない。何も出来ない。

 でも、変わらなきゃ。現状を変えるだけで良い。現状に手を加えるだけでも良い。現状に目をやるだけでも良い。現状を思いやるだけで良い。

 そんな一日で終わっても良い。

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ビジュアル(映像)化

 自分の「理想像」を、ビジュアル(映像)化し、「このようになりたい!!」と思い続けると、それが「現実化」するという。

 ある有名人が、週刊誌など雑誌で見たもので、自分も「そうなったらいいな!!」と思った「写真」を切り抜き、部屋中にベタベタ貼り付けているというのを、テレビで見たことがある。

 私は、彼はそのように「なりたい自分をビジュアル(映像)化し続けたから有名になったんだ」なって思った。

 そんな作業が、実は「自分自身を知る」方法(自分が潜在的に持っている可能性に気付く方法)であるかも知れないナ。私もやってみよう。

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熟成(じゅくせい)

 何をやるのも、1年くらい「熟成させてから始めないと」うまくゆかないのではないか。「始めてから熟成させる」のではない。「熟成させてから始める」のだ。

 物事には、「熟成しないもの」だってある。その場合、途中で投げ出さなければならない。結婚したものの二人の間が「熟成しないで別れに至る場合がいかに多い」ことか。

 結婚するまでには最低1年、2年くらい付き合ってから結婚するのが良い。その間にお互いが深まってゆかなければやめれば良いのだ。「運命の相手」は別にいるということだ。

 当社に入社して、辞めて行く人も多くいる。5分くらいの面接でお互いが分かるはずは“絶対”ない。入社しても、仕事や会社との関係を深められないで多くの人が去っていった。

 最近私が新規事業に失敗しているのは、思い立ったら間をおかず始めてしまうからだ。スピードは経営者の命だが、やろうと決断するまでに、もっともっと長い時間をおかなくてはならなかったのだ。

 「ただ時間を置く」というそんな単純な作業こそ、思い立ったことが「本物かどうかを見分ける」最大の“検証方法”だったのだ。

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2009年5月 9日 (土)

「幸せ」に浸っている者に飛躍は無い

 56歳にもなると、思い出すのは「良いこと」ばかりだ。あれも成功した、これもうまくいった、本当によくやったと、プラス思考の私の回りは良いことだらけだ。

 しかし、「幸せ」に浸っていては、これからの飛躍は無い、これ以上の社会貢献は不可能だと思うようになった。しばらく「幸せボケ」してたからだろか。現状で停滞している自分に嫌気がさしたんだろうか。

 そして、あれも不足している、これも出来ないと、自分に不満を感じる自分を見つけたら、なぜか妙に充実し始めている。「不足感」、「ハングリー状態」こそ、飛躍に必要不可欠なものだと思う。

 聖書(キリスト教徒ではないが)には、神は一週間のうち六日間で全ての仕事を成し遂げ、最後の七日目に休み、今までに行われた業(仕事)を祝福したとある。「幸せ感」は最後の一日だけ、それまでは「不足感」、「ハングリー精神」で生きたほうが充実するのかも知れない。

 「足りない」と不平を言っているのではない。欲張って、さらに多くを得ようとするのでもない。まだまだ自分の可能性を「引き出しきれていない!!」ことに気付き、可能性を「現実化」しなければ、自分にも社会にも申し訳ないと思うのだ。多くの資源、可能性がありながら、もったいないことだ(5月3日ブログ目標探し参照)。

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2009年5月 8日 (金)

可能性の扉はピンチの時開く

 可能性の扉が開くのは、ピンチに陥った時だ。なまぬるい春のような環境の時は、いつもの習慣に浸(ひた)ってられるから、新たな境地に飛び出すことはない。よほどの冒険家でなければ、身を危険にさらす人はいない。

 しかし、お尻に火がついたようなピンチになるとそうは行かない。現状からポーンと飛び出すしかない。それがチャンスへの扉になるのだ。

 常に自分をピンチに追いやれるかどうかが、飛躍できるかどうかの分かれ道だ。(「欲」で動き、開けた扉は「地獄」への道だから、自分の心の中を良く観察してから始めることだナ。)

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無限の可能性

 人間には無限の可能性がある。たとえば、小さいころ屋根から落ちて肩を痛めた私は、ボールを思いっきり投げることができない。そんな私がこれからプロ野球のピッチャーを目指すことが出来るのだろうか。答えは「出来る」だ。

 私は無限の可能性があるって言っている自分の能力について考えてみた。野球もダメ、ゴルフもダメ、レスリングもダメ、サッカーもダメ、ダメダメダメ、嫌になるほど出来ないことばかりだ。最近はパソコンの操作さえ分からなくなった。

 たった一つあるのは、絶対あきらめたくないという思いだけだ。そして、あきらめる必要は無いという信念がある。はたして能力がないのに、「心構え」だけで出来るのか。答えは「出来る」だ。

 私は現在お墓屋の社長として全権をになっている。ということは、職人でもない私が職人のリーダーになっているのだ。職人でない私が職人のリーダーになれたのは私に「指導力」があり、それを支える「研究心」、「向上心」があるからだと考えている。職人でなくても、常に現場に身を置けば、職人以上の働きが出来るということをこの仕事を通して学んだ。

 職人と言えども人である。その動きを分解してゆくと、「技」は「単純作業(動作)の組み合わせから生み出されている」ことが分かる。私はその組み合わせを利用し、変化させて、今までに無い全く新しい「技」を生み出してきた。実際に手をかけなくても、現場では職人に指示し、思ったとおりの「仕事」をすることができる。

 そんな経験から、自分が望みさえすれば、なんでも出来るはずだと確信するのである。空を飛べない身体を持った人間が、道具(飛行機)を使って「鳥よりも自由に」空を、そして宇宙を飛んでいるんではないか。

 肩が悪い人だって、肩の強い人間を発掘し、その人と夢を共有し、自分の能力(指導力など)をプロのピッチャーになることに集中させることにより、プロ野球を目指せるのだ。

 成りたい自分に必ずなれる。

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2009年5月 7日 (木)

本当の自分

 「自分」には“4つの自分”があるという。

 ①1つは、自分が知っている自分で、尚且つ他人も知ってる自分だ。②2つ目は、自分が知ってる自分で、他人には知られていない自分だ。③3つ目は、自分は気付いていないが、他人は知っている自分だ。④最後は、自分も他人も気付いていない自分だ。

 自分が気付いていない「自分」がある。そこに無限の可能性がある。

 私は何回も英会話に挑戦し、そのたびに多くの時間とお金を投入したけど、全くダメだった。自分なら出来ると思って、可能性に挑戦したけど自分の中に「英会話の能力が内在していなかった」のだ。そんな自分も「自分」だ。

 「英会話をあきらめる」と判断した私は、気分爽快(そうかい)になり、それ以外の能力に全神経を集中した。そして、いろんな可能性を「開花」させてきた。

 「自分」を知るって楽しいナ。まだまだ自分の知らない「自分」があると思う。

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2009年5月 3日 (日)

目標(夢)探し

 目標(夢)って、「自分に無いものを求めようとするもの」だと思っていた。でも違うナ。目標(夢)って、「自分に既に備(そな)わってるものを実現化すること」だ。また、「最初に何を実現化するか、“優先順位”をつけること」でもある。

 「ああ成りたい」と思っても、実現しない目標(夢)も多かった。それは、自分に無いものを望んでいたからなんだナ。逆に、実現した多くの目標(夢)は、自分自身に「内在(既に存在)」していたものを“引き出した”だけだったかも知れない。

 “習慣”という「こだわり」を打ち破れば、我々はなんだって出来てしまいそうな気がする。今までいろんなことをやってきた。今年ははラーメン屋なんかやってみた。11月になったら、古くなった水沢店(墓石店)を新築する予定だ。建物の大きさや間取りを考えるだけで楽しくなる。

 将来は老人介護ホームの建設なんかも可能ではないかって思う。母もまだ元気だし、もう少し資金がほしいので、急ぐ必要は無い。優先順位は後だ。

 自分に備わっているものは何か、それをどう世の中に役立ててゆくか、背伸びしないで、逆に「身を落として」考えてゆけばいいんじゃないのかナ。

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2009年5月 2日 (土)

身を落とす

 「身を落とす」とは、たとえばエリートから、非エリートの世界に転身することである。高級官僚から一般人になることかナ。

 人はそれぞれの「基準」でエリート意識を持ってるんではないか。エリート意識というより、「こだわり」とでも言えば分かりやすいかナ。こだわっていないような人でも、「現状が習慣」となって、いつのまにか「習慣となった現状を基準にして思考を組み立てている」のだ。それがその人の「こだわり」だナ。

 そして、人はいつのまにか、その「こだわり」に縛られて、行き詰まってくるのではないのかナ。一般に、「身を落とす」というと悪い響きに聞こえるけど、行き詰まってきたら「身を落とし」てみると、新しい未来が開けるんではないかって思う。 

 私は銀行員を辞めたとき、知人から「身を落とした」ように言われたことがあった。「後悔してるんではないか」ってなぐさめられたんだ。でも、当時の私は銀行員として行き詰まっていた。銀行員としての仕事をほとんどマスターして、あとは「はかない出世競争」ぐらいしか残っていなかったからだ。

 私は思い切って銀行を辞めることにしたんだ。いまから20年も前の、しかも田舎(いなか)のことだから「身を落とした」って思われたのかナ。しかしその転進が私に最大のチャンスをもたらし、今に至っている。

 現状の行き詰まりを打開するには、「より高いレベルに自分を引き上げる」という手段は有効ではない。高いレベルに行けないから行き詰まっているのだ。だから、思い切って「身を落としてみる」って大事だ。下には行きやすいからナ。カッコ良く言えば「大衆化」だ。

 そして、実はその「身を落とした先にこそ」大きな未来が広がっているのではないかって思う。習慣を打ち破り、思い切って地べたを“はいずり回って”みたらいいんではないのかナ。その方が「大将」になり易いし、「大将」になれば、いろんなチャンスにめぐり合えるネ。

 「ワイルド」になれってことだヨ。

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2009年5月 1日 (金)

思い続けていると本物になる

 自分の人生にとって価値あるものを、ずっと思い続けると言った。逆に、続けているうちに、自分にとってなくてはならない存在になるということもある。

 同じことをずっと思い続ける。続けているものが自分の「本物」になる。本物になるまで続けるしかない。

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人生はディズニーランド

 人生は、仕事や遊び(アトラクション)の中で、お客様や社員や友人や家族(他のキャストやキャラクターやゲスト達)と一緒に演ずる舞台だナ。

 その舞台で、素敵な「夢物語」を皆で共演しているのだ。

 「最後のパレード」を読んでるうちに、ディズニーランドは、人生の「お手本」なんだと思った。仕事も人生もディズニーランドのようにやればいいんだナ。

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人は一夜では育たない

 一夜で大金持ちになることってあるかも知れない。でも、人は一夜では育たないナ。

 素材も重要だ。ダイヤモンドはダイヤモンドとして、砂は砂として完成させなければならない。磨くのも、精製するのも、一夜で出来るものではない。

 多くの人を要する仕事ほど、長い年月を経なければ完成しないのだ。

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