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2016年11月30日 (水)

大学とは応用を学ぶところではなく基礎を学ぶところ

 大学とは、「応用」を学ぶところではなく、「基礎」を学ぶところである。

 自分が進むべき専門分野の「基礎」を学ぶのである。

基礎が大事

 どういう人生を目指すにしても、「基礎」が大事。

 私が法律が得意で、特許や裁判に精通していると言っているが、経営学部の学生の頃、民法全文と解説書を読破しているほか、銀行員の時、民事訴訟法を読んだり、とにかく基礎学習をしっかりやっているからだと思う。

 各種の裁判関係の申し立て書類の書き方は、たまたま銀行員でそういう部署で仕事をしていたから、経験的に習得していったが、経験だけで厳しい世の中を乗り切ることは出来ない。

 やはり、基礎学習が大事なのだ。

 したがって、子供や孫達には、そういう基礎を学ぶ環境を与えなければならないと考える。私の場合、自分の人生が忙しくて子供の勉強まで手が回らなかったから、せめて、孫たちにそういう環境を与えたいと考えている。

 音楽にしても、医学にしても、経営にしても、法律にしても、「基礎」があるということに気付くべきである。

 医者にならなくても、医者の免許ぐらい取らせておくぐらいの「ゆとり」がほしいものである。医者の免許を持ちながら、弁護士やったり、政治家になってもいいのだ。

しっかりした学校に生かせて基礎を学ばせる

 日経新聞の私の履歴書で、作曲家の服部克久氏の連載が今日で終わった。

 お父さん譲りの才能を持ったすごい作曲家だと思っていたけど、才能だけで今の名声を手に入れたのではないということが分かった。

 どういうことかというと、しっかりした音楽の学校に行き、基礎を勉強したから、才能が有効に働いたのだ。したがって、そういう勉強する環境に身を置くことが重要で、そのために、親や回りの人が尽力することが大事だということだ。

 早い話が、子や孫に、しっかりした学校に行かせ、基礎から学ばせることが親の大事な役割だということだ。

 何を目指すにしても。

2016年11月29日 (火)

物事はそう簡単に進まない

 チャンスの前で待つと言ったが、物事はそう簡単に進まない。

 私は、サラリーマンの世界からチャンスを求めて「経営者」の世界へ転身したのだが、会社を創業したからと言って、即、本物の経営者になれたわけではない。

 表面上は経営者かも知れないが、法務局に会社設立の登記をしたからと言って、その瞬間に人間が変わるなんてありえないのだ。

 したがって、経営者というチャンスの前で、私は掃除夫、作業員、セールスマン、事務員・・・など、一人何役もやりながら、「経営者の利益」を待ち続けたのである。

 しかし、3年、5年経っても、忙しいばかりで、貯金など出来る状態ではなかった。

 救いだったのが、お金が貯まらなくても楽しくてしょうがなかったということだ。お墓作りの現場でスコップを使ったり、職人たちとお墓を作ってゆく過程が面白くて仕方がなかったことである。

 一関霊園などの企画や新しいお墓のデザイン開発、新店舗展開、特許取得・・・・、お金をどんどんつぎ込み、手元にお金が残らなくても全く気にならなかった。

 そうして待っているうちに、「経営者の利益」というチャンスがやって来た。会社を創業して10年、15年経ってからだと思う。このチャンスは、私が当初想像したより相当大きなものだった。

 だから、チャンスの前でジッと待っていることが、チャンスをつかむコツなんだけれど、それは根気のいることだと思う。

2016年11月27日 (日)

チャンスをつかむためには

 チャンスは毎日のように来るわけではない。

 簡単に来ないものだ。

 しかし、確実に来る。

 チャンスを逃さないことだ。

 チャンスをつかむためには、

 チャンスの前で、じっと我慢していることである。

2016年11月26日 (土)

やっぱ、流れに乗ること

 不労所得はダメだと言ったが、やっぱ、流れに乗らなければダメだ。

 お墓だって、従来の流れと大きく違ってきている。以前のヒット商品は「天海セット198万円」だった。この素敵なデザインの商品が飛ぶように売れた。

 今考えれば、完全に流れに乗っていたのである。

 しかし、4~5年前からパッタリ売れなくなった。今年は0件である。それに代わり、新たに開発した商品が売れている。

 お墓にも流れがあり、業界にも流れがある。どんなに「天海セット」を改良していっても、もう、時代の流れは大きく変わっているのだ。

 いつか元に戻るだろうか。テレビがブラウン管の時代に戻るようなもので、それは、いつまで待っても元に戻ることはない。

 流れが来ないところで仕事をしていても、その姿は美しいかも知れないが、貧困に苦しむだけだと思う。

 やはり、流れをつかまなければダメだ。やっぱ、流れに乗ることである。

2016年11月25日 (金)

成長エンジンを何に求めるか

 その時代に合った、成長エンジンを動かして進んできた。

 これからの成長エンジンを何に求めるのか。

オリジナルな作品を作って価格設定する

 世の中の流れに乗って不労収入を得ようと思ってもダメだ。流れが逆になったとき、全てを失うことになる。

 やっぱり、働いて収入を得る、というのが大原則。

 働くとは、オリジナルな作品を製作するということ。そうすれば、自分で価格設定できる。働くとは、そういう行為をすること。

 他人と同じようなことをやっていると、結局、入札になり、相手に価格を決めてもらわなければならなくなる。

 その場合、仕事をしているのは、自分ではなく、相手である。

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 自分で価格設定すると言っても、適当につけるというのではない。世の中の常識と言うものがある。

 しかし、価格を相手が決めると、こちらが地獄に落ちるようなことになりかねない。そうして、多くの会社がつぶれてゆくのだ。

2016年11月23日 (水)

そこに行けば、そこのものが手に入る

 それが欲しけりゃ、そこに行け。

 ここにいて、それを手に入れようと思っても、不可能だ。

 そこに行けば、そこのものが手に入る。

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 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とは、リスクを取らなければ欲しいものが手に入らない、と言うのではない。

 虎児が欲しけりゃ、虎児のいる所に行けばいい、という単純な理(ことわり)。虎の穴に入るリスクを取れと言っているのではない。

 昨日テレビで、英語を学びたいのでフィリピンに行ったという女性が出ていた。世界で英語が多い国は、1アメリカ、2イギリス、3フィリピンだとか。

 そして、フィリピンは家賃、物価が安いので、住みやすいのだという。

 英語がうまくなりたいと思い、日本にばかりいる人は、的が外れているということだ。

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 銀行員から石屋の世界に飛び込んでしまったら、石の全てを手に入れることが出来た。

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 もっと欲しいものがあるので、今、そこに行っている。まだ、そう簡単に手に入っていないけど、そのうち必ず私のものになると信じている。

 そこに行くというのが大事。そこに行くまで何十年もかかってしまったけど・・・。

2016年11月22日 (火)

欲しいものは必ず手に入る

 欲しいものは必ず手に入る。

 諦(あきら)めない限り、未来は自分の思う通りになるのだ。

出来ないものは何もない

 出来ないものは何もない。

 出来ないのは、やろうと思わないから。

 出来ないのは、自分の可能性を諦(あきら)めるからである。

2016年11月21日 (月)

力がなければリーダーになれず

 アメリカの次期大統領は、トランプタワーなど私的財産を多く所有し、海外の要人と会談するにも自らの別荘などを利用している。

 庶民の代表と言っても、庶民が代表になれるわけではない。

2016年11月20日 (日)

何かしようと思えば必ず見つかる

 打つ手がない、と言うことはない。

 何かしようと思えば必ず見つかる。

 まず、「やる」ことを決める。

 どうするかは、その次に決める。

 じっと見ていれば、どうすればいいか分かってくる。

2016年11月19日 (土)

それにしてもジッと我慢ばかりしている

 チャンスは向こうの方からやってくる。

 それを我慢して待っている。

 それにしても、ジッと我慢ばかりしている。

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 だから、せめて、種植えを楽しみながらやることだ。

 それが私の人生である。

 種植えばかりやってる感じ・・・・・・・。

2016年11月18日 (金)

向こうの方からチャンスはやってくる

 思った通りに物事が進んでいる。

 じっと、我慢して待っていると、向こうの方からチャンスはやってくる。

 熟した果物は、自然に落ちてくるのだ。

 種をまいておかなければならないけれど・・・・・。

2016年11月17日 (木)

警察取り締まり(ネズミ捕り)

 また、当社の前で警察の取り締まり(ネズミ捕り)が始まった。今日で4回目。見通しの良い2車線道路で毎回30台~40台捕まっている。

 営業の邪魔になると抗議の電話をしても聞き入れてくれない。2回目と3回目にそれぞれ抗議の電話をしたのだ。

 当社が警察に土地を貸して取り締まりやってると勘違いされている。警察なんかに土地を貸すなと、知人から何回も注意された。これでは営業妨害である。

 警察は人殺ししてもいいのか。我々は役職員約20名である。我々にとって死活問題である。止めてほしい。

 また、捕まっているのは皆ゆとりのない生活をしている一般市民。警察とは弱い者いじめする組織なのか。嫌な奴らだ。

 警察はどんなに評判が悪くても、給料が減ることはない。だから、堂々と弱い者いじめする。本当に嫌な奴らだ。

2016年11月16日 (水)

ピンチはチャンス

 ピンチはチャンス

 それは、ピンチに自分を変えることが出来る者に言える真理

 変えるとは、現状を捨てること、得るは捨つるにあり

      ・

 どうせ変わるなら、超デカい目標を設定せよ

 達成する手段なんて最初は考えなくていい

 とにかくワクワクする目標を立てよ

      ・

 手段は目標を決めてから、目標に応じた手段を考える

      ・

 中途半端な手段、行動では、でかい目標は達成できない

 大まかな手段が決まったら、5年計画、1年計画、1カ月計画、日々計画と具体的行動計画を立てる

 そうしたら、やるしかないということが分かる

 間髪を入れずに行動することだ

      ・

 私はそうして北海道から九州まで一人で営業に出かけたものだ

 日本を、世界を相手にしなければ超高い目標は達成できない

 これだけは確かなことだ

2016年11月15日 (火)

まず初めに高い目標を設定する

 何か手段があるかなんて、最初から考えることはない。

 まず初めに高い目標を設定する。

 その目標に向かって、手段を選択してゆくのだ。

2016年11月13日 (日)

苦しんで働けば相手に苦しみを与える

 人間にとって生きるということは、苦しむことではなく、たぶん、自分が気持ちよくなることではないか。

 そして、自分が気持ちよくなるには、自分の力では無理で、誰かによって気持ちよくしてもらわなければならないようになっている。

 そこで、まず自分が誰かに気持ちのいいことをして、そのお返しに、相手から気持ちよくさせていただく、そうして生きてゆくというのが人間の知恵である。

 しかし、相手に気持ちよくなってもらうために、自分が苦しい思いをしたのでは、相手に伝わるのは「苦しみ」でしかないのかも知れない。

 したがって、自分も楽しみながら、相手を気持ちよくしてゆくというのが、最も理想とする人間の生き方である。

 私は、自分の仕事を振り返って、よくやったと、とてもいい気分になる。相手に喜んでもらえるだけでなく、自分も満足でき、気分がよくなるもの、そういうのが本当の仕事であり、人間本来の生き方である。

2016年11月12日 (土)

小さな会社が生き残る術

 3000人の社員がいる岩手銀行を辞めた私は、社員200人の地元の信用金庫に入り、さらに社員50人の一般会社に移り、最後に社員20程度の今の会社を創業した。

 私が小さなところを好むのは、父が私に「鶏口となるも牛後となることなかれ」と言ったからである。父のDNAを受け継いでいるらしい。

 しかし、小さな会社は大きな会社に比べて不安定である。不況が来たらいっぺんに吹き飛んでしまうのだ。

 小さな会社が生き残る術はただ一つ。環境の変化に対応し“変わる”ことである。

 私は、ピンチが来たら、口に出して「チャンスが来た」と言うことにしている。チャンスとは誰からか与えられるものではない。自分が作り出すものだ。

 それは、自分が“変わる”ことであり、ピンチの都度、人間も会社も大きなって行くものだ。だからチャンスなのだ。変わらなけりゃ、チャンスも何もない。

2016年11月11日 (金)

変身宣言

 今までの自分を変えなければならない。

 変えるチャンスが来たのだ。

 変身宣言である。

アメリカと日本の違い

 民主党のオバマ大統領は大統領選挙で勝利した共和党のトランプ氏に対し、「トランプ氏の成功がアメリカの成功である」と言ってエールを送った。

 敗れたクリントン氏も、これからアメリカを引っ張ってゆくトランプ次期大統領に応援してゆくと言っている。

 それに対し、日本は、選挙で勝った自民党に対し、野党は負けたその日から、しつこい批判ばかりしている。特に蓮舫なんか、相手を批判することにかけては日本一ではないだろうか。

 だから、日本の野党はダメなのだ。戦いが終わったら、日本をよくするために協調する姿勢がほしいね。野党の話を聞いていると、与党は何から何までダメ。一つもいいことを言わない。

 アメリカを見習わなければならない。と言っても、無理な注文か・・・。

2016年11月10日 (木)

強力な経営者

 オバマには失望させられた。広島訪問は良かったが、安倍首相と寿司屋での1対1の対話では、安倍首相が相手をファーストネームで呼び、一生懸命親しみを込めているにもかかわらず、人間性(親しみとか優しさ)を一切封印し、仕事人オバマを貫いた。

 安倍首相がかわいそうだった。日本人の一人として、バカにされているような感じを受けた。

 そんな公務員的オバマの継承者であるクリントンが敗退したことは大きい。本当に良かった。もともと日本は民主党とは相性が良くなかったのだ。日本でいえば民進党と同じなのが、アメリカの民主党だ。

 これから共和党の時代。非常に楽しみである。きっと、アメリカも日本もさらに発展してゆくだろう。

 会社も、強力な経営者がパワーを出して会社を引っ張ってゆかなければならない。下から上がって来た、既存勢力者たる、たたき上げの公務員みたいな継承者では、会社を引っ張ってゆくことなど出来ない。そういう連中が特権をちらつかせれば、世の中の嫌われ者になるだけだろう。

 庶民的スター誕生の時代になったのだ。

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 ところで、庶民的スターと言っても、本来の庶民からスターは生まれない。やはり、アメリカもフィリピンもそうなのだが、恵まれた環境にいる連中から生まれるのだ。

 お釈迦さまだって、元々は一国の王子だったのである。

2016年11月 9日 (水)

トランプ大統領誕生

 イギリスEU離脱、小池知事、アメリカ大統領・・・・、変革が続く。

 世の中が何か変わろうとしている。既得権者が総入れ替えになりそう。何が大事か、価値観が大きく変わろうとしている。

 技術革新やお金にだけ目を奪われがちだが、これからは、人間力の時代になると思う。

 人間重視の世の中である。人間重視とは、理屈とか、既存の考え方に縛られない、強力なリーダーの人間性による統治である。

 日本の安倍首相、ロシアのプーチン、そして今回のトランプ。中国やフィリピンも同じだ。皆、強力な人間力をもって世の中を変革しようとしている。

 役人が屁理屈と既存の力を借りて世の中を渡り歩くような、セコセコした世の中の終焉(しゅうえん)である。

守られている

 私は何か大きなものに守られているような気がする。

 菩提寺の外トイレも、たまたま日曜日(11月6日)に、庫裡の工事の進み具合を見に行って気付いたもの。

 日曜日も会社に出勤しなければならず、朝も忙しかったが、とにかく目を通しておかなければと思い、現場に行ったのである。そこで、目に飛び込んできたのが、そびえ立つように建っていた外トイレ。

 屋根まで仕上がっていたが、直感的に、今ならなんとか高さ調整できるはずだと思い、業者の社長に連絡。昨日(11月8日)に調整してもらった。

 40センチも低くするなんて相当の決断だ。気付いたら即行。ものすごいパワーで成し遂げたのである。あの時、現場に行かなかったら、そして、すぐ動かないで、躊躇していたら、一生悔いが残った。

 私は大きな力で守られているような気がしている。

最高の出来栄え

 昨日、菩提寺の外トイレの高さを調整してもらった。立ち会うことが出来なかったので、今朝、早朝に確かめに行って来た。見るまでドキドキ・・・・。

 最高の出来栄え!

 私としては、感覚的に割り出した数字(マイナス40センチ)だったが、実際、出来上がって見た感じもとてもよかった。立ち会ってもらった総代の評判も上々。

 私の判断と決断でやっているので、心配も人一倍。職人さんに大変な仕事をしてもらうわけだから、責任重大だ。

 何かをするには、全体の無責任な意見より、一人の命をかけた判断の方が、全体にとって有効である。

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 会社だって同じこと。皆の意見を聞くけど、最終決断は私一人の判断である。したがって、会社は経営者次第。

 そして、経営者の一番大事な資質は、大衆に受け入れられるヒット商品を生み出すこと。ヒット商品を生み出せる人間が経営者になるのである。

2016年11月 8日 (火)

最後の微調整

 猊鼻渓の出世龍のモニュメント、新特許製品、菩提寺庫裡の外壁など、いよいよ最後の微調整の段階。ここから、神経を細かくしなければならない。

 猊鼻渓のモニュメントはキャスターに乗せるので耐震をどうするか最終段階の作業。特許製品は石材以外の使用部品をミリ単位で選定している。菩提寺庫裡は外壁材などデザイン上最重要な課題が残っている。

 最後まで気が抜けない。いよいよ最後だから気が抜けない。最後失敗したら、全て台無しになるのだ。

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 今朝も出勤前(朝礼前)にお寺に行き外トイレの高さを最終確認、2名の総代の家に訪問し、外トイレ、庫裡の外壁の打ち合わせを済ませた。

 早朝は、貴重な時間である。

2016年11月 7日 (月)

結局、高さ調整する

 結局、菩提寺の外トイレの高さは1.3尺(約40センチ)低くしてもらうことになった。昨日の業者の社長の話では、今なら低く調整できるとのことだった。

 今朝、出勤前にもう一度確認後、今回の建設に興味がある総代のところに行き、「庫裡の建設進んでいますがどうですか?」と言ったら、すかさず、「全体としてはいいけど、外トイレが高いな~」と、全く私と同じことを言うではないか。

 やっぱり、思っていることは皆同じだったのだ。

 私が「1尺2寸~3寸低くしてもらおうと思うけどどうですか」と言ったら、「そんなことできるの?」、「出来るものなら、あなたにおまかせしたい」とほっとした様子。

 気付いた時すぐ動けば、何とかなることって多い。社長には迷惑かけるけど、これからずっと高すぎるトイレを見上げて暮らすより、直してしまった方がいい。社長も勉強になったはずだ。

 私は、あきらめない人間である。

2016年11月 6日 (日)

夢に出てくる新製品

 新製品の寸法がいよいよ夢にまで出てきた。

 そして今朝、あと6ミリ短くした方がすっきりするとひらめいた。なぜ、こんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。

 どうも、最初のこだわりが最後まで頭から離れず、そこだけチャックから外れていたみたい。そういうことってある。気が抜けないな。

 早速、朝から図面訂正している。早く気が付いてよかった。

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 朝、お寺に行って来た。お寺の庫裡建設、大分進んでいたが、外トイレがやけに大きい。業者の社長に問い合わせしたら、平屋建ての庫裡と同じ高さ(屋根、天井など)にしたとか・・・?????

 庫裡は床がついている。外トイレは床なしの土足仕様

 同じ高さじゃダメでしょ!!しかも、トイレなんて幅9尺(男子3尺、女子3尺、洗面所3尺)のちっぽけなもの。高さばかりがやけに目立っている。

 立派で頑丈に作ればいいというものではない。

 そのことを社長に話したら、自分でもう一度確かめてくるとか。全然分かっていない。センス無い人間は嫌だな。

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 猊鼻渓に寄付する予定の龍の彫刻が完成したけど、ここまでくる間、私のイメージに合うまで、何回もやり直ししてもらった。

 お墓は、こちらが完璧な図面を書くので問題ないのだが、彫刻品となるとそうはいかない。私の考えがなかなか相手に伝わらず、面倒かけてしまった。

 しかし、私が中途半端な気持ちのままOK出してしまったら、一生悔やむことになる。思い切って言いたいことを言い、相手も気持ちよく引き受けてくれた。

 そして、中国工場とのメールでのやり取りだったが、なんと2カ月も付き合ってもらったのだ(毎日彫刻していたわけではないけど・・・)。

 デザインと寸法のことになると、頑固な職人気質になってしまう。何かこだわるところがなければ、会社なんか経営できないではないか。

 これが新生という会社が存在する理由なのだ。

2016年11月 5日 (土)

すぐ辞めさせなければならない人間

 情をかけたら、会社がさらに窮地に追い込まれる社員とは

  ①社長が「出来る」といっても「出来ません」という職人

  ②売り上げをごまかす営業マン(1円でもアウト)

  ③社長の意見をさえぎり自分の考えが正しいと主張する参謀(さんぼう)

 その社員がいた方が助かる、なんて色気出したらやられてしまう。すぐ辞めさせなければならない人間である。

 本当のことである。

2016年11月 4日 (金)

分をわきまえろ

 私は、レベルが高い人間より、低い人間を大事にする。また、自分に従属するより、反対してくる人間を重宝する。

 だから、そういう人間は、私に取り立てられて主要な役割を与えられたり、私のそばに置かれたりするのだが、それを勘違いし、社長である私に自分の意見を主張し、私が「そうしたくはないのだ」といっても聞かず、自分の意見をついには通してしまうバカがいた。

 自分が担当しているから出来てしまうのだ。社長の要望は引き延ばしておいて・・・。

 銀行出身の人間は、高給をもらいながら、高いところから一般企業を見下ろす癖があるようだ。よく観察していると、銀行や公務員出身の人間は、さすがに一般零細会社の作業員よりは理屈に通じ、学問的には少し程度は高い。

 しかし、会社に入り、社長の部下になったら、分をわきまえなければならない。いかに社長がバカでも、社長を超えることはできないのだ。

 超えたかったら、その会社を去ればいい。自分一人で戦ってみることだ。文句言いながら居座ることはない。

 しかし、一方の社長の方もしっかりしないと、会社内をかき回されることになる。知らないうちにそうなってしまう。全て、社長が悪いのだ・・・。

 私は、パワーがあるから大丈夫だけど・・・・。(結局、そういう連中は会社を追い出されることになる。)

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 どうして、銀行員とか公務員が勘違いするかというと、そういう連中の上司も皆サラリーマンで、サラリーマン経営者やサラリーマン上司には慣れていても、オーナー経営者がどういうものか分からないのだ。

 世の中には全く別の社会があるということを勉強した方がいいね。

命名

 新しい特許が完成するのに1年半。

 命名に悩むこと1ケ月。

 そして今朝、とうとう新特許の名称が決定した。

 仮決定していた「セレナーデ」がどうもピンと来ないので、昨夜、もう一度見直そうと瞑想していた。そして、ある程度納得できる名称が生まれた。妻もいいと言った。

 ところが、今朝、起きたら、昨夜考えた名称の後半部分を少し変えたものがフッと浮かんできた。

 !!!!

 突然、光った!

 これは、いける。妻もいいんじゃないと言った。

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 簡単に納得してもらえそうで、これが家族、社員、なかなか「いい」と言わないのだ。もちろん、そういう時は自分自身も100パーセント納得しているわけではないのだが・・・・。

 名前ってすごく重要である。

 以前、骨堂に明かりが入る墓石を開発し、特許墓石「あかり」と命名して大ヒットしたが、他人のマネばかりやっている花巻市のS石材がマネして「ヒカリ墓石」なんて出した。

 マネする方が楽かも。でも、私が命名した本当の理由が分かっていないから、名前だけはマネできても、名前と内容がバラバラ。

 結局、しばらくして使わなくなった。

 先駆者は、苦労し努力しているのだ。

2016年11月 3日 (木)

新作はまず家族や社員の意見を聞く

 したがって、新製品を製作すると、まず家族や社員一人一人から意見を聞く。

 販売するときは世の中に向かって情報発信するのだが、世の中といっても漠然としている。結局、身の回りの人達から「これはいい!」と言ってもらえるまで、試行錯誤し、改良し続けなければならない。

 盛岡とか仙台に店を出す際は、果たしてその地域に受け入れられるかどうか誰も分からなかった。「出店」という“商品”は家族や社員の意見を聞くことが出来ない、最も厄介なものである。

 したがって、誰に寄り添うという目的もなく、誰に意見を聞くということもなく、自分の夢だけで進んでしまった。試行錯誤しないで始めたのでうまくゆかなかったのだ。

 もっとも、その失敗から試行錯誤し、結局最後には成功を勝ち取ったので、こうして生きていられるわけだけど・・・。

 やはり、世の中とか、市場とか、大きく構えないで、身近な一人一人に寄り添って進むことが大事なことだと思う。

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 今日の日経新聞の「私の履歴書」で、作曲家の服部良一氏も、新曲が出来ると「おーいできたぞ」と家族に号令をかけ、身近の人の意見を聞いたという。

 一番大事なことなのかも知れない。

2016年11月 2日 (水)

世の中全体ではなく「その人」に寄り添う

 世の中全体、市場全体を相手にするのではなく、特定の「その人」に寄り添うことを考える。「その人」の足りないところを補おうと思えば、研究対象は絞られてくる。

 「その人」は自分自身という人もいるかも知れないが、それでは社会人ではなく、個人だ。

2016年11月 1日 (火)

でも木村君のおかげ

 でも、ここまで来れたのは木村君のおかげ。これだけは間違いない。同じことをやると、すぐあきてしまう私だけでは、どうにもならなかった。

 私の足りないところを補う最適の人物が木村君だったのである。

 木村君にとっても、私が一番最適な人間だったのだが・・・・・。

相手の足りないところに寄り添って生きる

 昨日テレビのプロジェクトXで、義足を作る技術者を取り上げていた。彼はそもそもロボットを開発するのが夢で仕事をしていたのだが、友人が片方の足を切断することになり、彼のために義足を作る道に人生の目的を変更させたのだ。

 人は結局、誰かのために、相手の足りないところに寄り添い生きているのではないだろうか。

 我が家でいえば、家族8人で暮らしているが、孫たちはもちろん自立能力などあるはずもなく、家族として彼らに寄り添ってあげることが人生の一部である。

 また、母も83歳で、最近心臓が悪いとかで入院し、昨日退院したのだが、年寄りだから役に立たないなんて考えないで、年寄りに寄り添うことこそ家族の人生であると思わなければならない。

 義足を作る技術者になった彼の人生を見ていて思ったのは、誰かのために寄り添っているからといって、決して彼が誰かに拘束されているということではないということだ。

 むしろ、寄り添ってあげたことにより、自分自身の人生が光り出すという、不思議な現象を発見したのである。

 彼はロボットを作る技術を使い、義足が脳波を感じ、あたかも本当の足と同じように、いや、本当の足よりももっと機能的に動くことを目指しているのである。

 それは、ロボットを作るより、はるかに高い技術が必要で、結果、彼の実力は今まで以上高度に進化することにもつながっていったのだ。

 将来、義足はメガネと同じように、社会に何ら違和感なく受け入れられるようにしたいとか。義足をはいていることが、うらやましがられるような世界を目指しているのだ。

    ・・・・・寄り添ってあげることにより、自分自身の人生が光り輝く・・・・・・・

 そうなのだ、あらゆる経済活動は、大なり小なり全て人類のそういう活動によって成り立っているのではないか。そして、倒産したり、事業が成り立たなかったりするのは、相手に寄り添うことが出来なくなった結果なのである。

 我社の社内のことを言えば、社長の私は世間知らずの理想主義者で、原理原則論は得意だが、今日の仕事、明日の仕事についてはかなり大ざっぱである。しかしながら、転ばないためには目先の仕事が重要であり、ぼんやりしているようでは倒産してしまう。

 そこで、目先のことにめっぽう強い連中が回りにいて私に寄り添い、一生懸命目先の仕事を完璧にこなしてくれている。

 その代わり私は、大きな流れを監視し、誰も気が付かないような未来を創造し、目先ばかりに気を取られ、その先に迫る崖っぷちに気付かない連中に寄り添い、崖から落ちないように方向性を与えるという役割をしているのだ。

 ところが、事業を興し20年以上になり、目先のことがうまくいき出すと、私のような原理原則を言う人間がいなくても会社が順調に回ってゆくので、世間を知っている現実主義の連中だけで会社がやりくり出来るようになり、いつしかそういう連中の天下みたいになってゆく。

 私と一緒に仕事をしていた専務もそうであった。彼は超現実主義者で、お客様の事、今日、明日の仕事については社内で誰よりも完璧だった。もちろん、私よりである。

 そして、いつしか私が立ち上げた会社で実力を発揮し、私より完璧に仕事をし、会社が順調になってゆくにつれ、私より偉くなっていったのである。やがて、私が話しかけてもろくに返事をしなくなってしまった。

 彼をそうさせている原因は私にもあった。信金に勤めていた彼が、私みたいに小さな人間についてきてくれたことに恩義を感じ、彼に最大の敬意を払い、給料も信金以上に格段に高くし、私とどんなトラブルがあっても決して待遇を下げるようなことをしなかったのだ。

 それは、かつて同じ信金に勤めていた私のプライドでもあり、私のプライドが彼の待遇を守っていることを彼はよく知っていたので、安心して私を無視し続けたのである。

 そこで、63歳になった私が身を引き、彼と私の息子の時代にバトンタッチしようと決心したのだが、そのとき、彼は突然大病にかかり、仕事に戻ることが出来なくなった。

 また、私の時代に戻ったのである。

 考えてみれば、現実主義者達が会社をやりくりなど出来るものではない。私が身を引いたらこの会社は1年でなくなっていただろう。

 創業当時、私は外注の連中に苦しめられた。当社からどんどん仕事が行くので、次第に、自分達外注がいなければ当社が成り立たないだろうと、外注の連中がわがままを言い出したのだ。いじめのようなものだ。

 それに対し私は全くひるむことはなかった。私の実務能力は、営業であれ、工事であれ、誰にも負けないという変な自信があった。私は若く、超元気だったのだ。じっと我慢して急場を乗り切り、私にかかってくる外注連中を全て処分してしまった。

 当時の苦労と戦いに比べれば何も怖いものはないと思っていたが、まさか、最も身近で、頼りになる人間が実は、もっともやっかいな相手であることを私は気づかなかったのだ。危なく倒産させるところだった。

 会社というものは、大きな理想を掲げ、それに向かって、たとえ回り道でも突き進んでこそ、大きな成果が得られるのだ。信金でいかに頭がよく、仕事が出来ても、経営者となれば全く別だ。

 経営者とは大谷投手のような特別な能力なのだ。少々仕事が出来るぐらいで経営者に立ち向かおうとしても、かなうものではない。ちびっこが束になってもかなうものではないのだ。

 話を前に戻そう。相手の足りないところに寄り添って生きることだ。寄り添ってあげたなんて考えるようでは人間ではない。

 相手に寄り添うことが、自分が光り輝く最大の手段だと思う。

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