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2017年12月30日 (土)

注文、問い合わせ

 今年は今日までと思って出勤していたのだが、仏壇の注文とかお墓の問い合わせとかが来ている。来店も多い。

 お客様にとっては年末年始関係ないのだ。むしろ、家族がそろう今こそお墓を決めておきたいと思うのかも。

 こういうことがあるので、店を開けておかなければならない。

年末31日元旦休日

 今まで年末の31日も休んだことない。元旦だけは遠慮して休んでいた。

 が、今年は31日と元旦~2日まで休もうかと思う。1月に65歳になり、私自身も働き方改革する時期である。

 こうして年中無休で働けるのは家族皆健康だから。特に地域の付き合いは両親が長く関わって私の出番はなかった。今でも地域で誰か亡くなった時など84歳の母が代表して出席している。(私がお寺の総代やってるけど・・・。)

 家のこと孫のことは娘夫婦がやり、農家もしていない。卵焼きも出来ない、ご飯も炊いたことのない私は、結局仕事に専念するしかない。

 何にでも興味があり、体も丈夫だからやり過ぎる危険があるけど、うまくかわしながらここまで生き抜いてきた。世の中の笑い者にならなかったのが幸いである。

 今までの反省を踏まえ、これからは少し真面目に進んでゆこうと思っているけど、私が真面目と思うことと世間でいう真面目とは少し違うような気がするので、自分の行動に要注意だ。

 だから、今までもそうだったが、とにかく地域や世の中に何かしらの寄付を心掛けている。寄付をしなかったら私の存在価値が無くなる。

 元銀行員でお金担当の私が地域や社会のために出来ることは唯一それだけで、世の中のために何も出来ない私の義務であると考えている。

2017年12月29日 (金)

何でも出来て何でもやるから地獄に落ちる

 私の場合、何でも出来て、何でもやってしまうから地獄に落ちている。

 たとえば、平成12年に葬儀事業に進出したときも、常識程度のことしか知らなくても、数カ月で学習し、すぐ営業している。お客様には迷惑かけなかったけど、大金を投入したほどの多くの支持を得られず3年程度で撤退している。

 葬祭会館、霊柩車、祭壇など購入したものを全て他社に売却したが、かなりの損失を出した。そればかりではない。お客様からの依頼はいつも真夜中。夜も寝ないで働いたのだ。損失を出しながら一生懸命働く。こういうのを地獄という。

 一方、宗旨宗派を問わない霊園を作ると思い立ったら、これも数カ月で立ち上げ完成させている。これも1億円以上の出費だったが、お客様の支持を得て既に20年以上経った今も墓地購入者が相次いである。

 何でも出来て、何でもすぐやってしまう。これが私のいいところで、一番危険なところ。危ないことに手を出さないよう、そういう執着心に「見ざる言わざる聞かざる」で望まなければならない。

 と言いながら、また新しいことやろうとしている・・・。

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 大借金を抱えてもすぐ返済し、多くの土地や建物を所有しても無借金で経営しているのは、創業以来25年間、日曜休日も休まず働いてきた精神力と身体を与えてくれた両親のおかげである。

見ざる言わざる聞かざる

 「見ざる言わざる聞かざる」とは、

 悪いことをやっている人がいるにもかかわらず見ないふりをする。

 悪いことを注意しなければならなくても言わない。

 悪いことに耳をふさいで知らないふりをする。

 そういう処世術(うまく世渡りする方法)のことだと思って、あまり好きではなかった。

 でも、今は全く別なことだと考えるようになった。自分自身の執着心に悩み、後悔の連続の日々を送っているうちに、執着心から逃れる術(すべ)こそ、「見ざる言わざる聞かざる」ではないかと思うのだ。

 私はこだわり(執着心)が非常に強いから悩みも多い。悩みが多いのはこだわる(執着する)からだということに気付いた。

 こだわること(執着すること)それ自体は悪いことではないが、問題は、どうでもいいようなことまで、いつまでもこだわって、自分を苦しめ、無駄な時間を過ごしているのではないかと思うようになったのだ。

 そんな執着心と戦う武器が「見ざる言わざる聞かざる」ということではないのか。かなり宗教的な意味合いの言葉(作品)なのだ。

 ジェットコースターの頂上に行っても、目をつぶれば何も怖くないように、恐ろしい執着心が襲ってきたら、すかさず目をつぶればいい。

 目を開いて悩んでいると殺されてしまうよ。

 もっとも、どうでもいいことかどうかは色々経験しなければ分からないから、結局やってやってやり抜いて、それから徐々に気づいてゆくもので、65歳とか70歳とか75歳とかにならなければ分からない真理ではあるね。

 そういう私は今もってやり過ぎています。間違いなく・・・。

経文でいっぱい

 私の机の前は経文でいっぱい。しかも、阿弥陀経をはじめ、長文のお経を毎日読経するのが日課になっているから大変である。

 誰から強制されたものではないが、やってみようと決めると納得するまでやり続ける性格だから仕方がない。

 般若心経のように、自然に口について出てくれば納得するのか。日課はそればかりではない。毎日決まった運動項目などがあり、日々の「ルーティン」に拘束される日々が続いている。

 拘束されている感覚から、意識しない自然な感覚になるまで1年くらいはかかるかも知れない。

 そんな中で、業務である新しいお墓作りを進めている。テレビもスマホも車も何もかもが日々進化している。お墓だけ毎年同じものでいいはずがない。

 私が毎年新商品を出すのは当たり前。去年と同じことをやっている方がどうかしているのだ。

2017年12月28日 (木)

最終工事

 今年最後のお墓工事が年末ぎりぎりの今日終了する。お客様との約束を何とか守れた。

 また、担当以外の社員は雪が多いので、展示場の雪かきなど最後の整備をしている。とりあえず、今日で今年の業務終了。

 私はいつものように年末まで不測の事態に備え出勤している。

2017年12月27日 (水)

明日あると思う心の仇桜

 明日あると思う心のあだ桜

 夜半に嵐の吹かぬものかは

           親鸞聖人9歳の句

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 明日も咲き続けると思っている

 はかなき桜の花びらだが

 夜中に嵐が来ないとも限らない

 (明日に延ばさず今日出来ることは今日してしまいなさいということ)

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 安心しているときが

 危ない

 明日が今日と同じだとは限らない

人間はほとんど進化していない

 物質は進化を遂げているから

 さぞかし人間も宇宙人的に進化していると思っていたが

 人間はほとんど進化していない

 そのことに気付けば

 十分、今から誰にでも追いつける

 進化している物質を利用して

 進化していない人間と戦えばいいのだ

 問題は、進化している物質を取り扱うノウハウを持っているかどうかだけど・・・

2017年12月26日 (火)

後悔するのは執着するから

 後悔するのは執着するから

 見るから執着する

 目を閉じて見ないことである

 ジェットコースターの頂上にいる時のように

 目を閉じればいい

2017年12月25日 (月)

準備期間

 一生のほとんどは「準備期間」である。

 孫たちはまだ身長も知識も身体能力もないので、食べて寝て運動して成人までの準備期間を過ごしている。

 会社に入れば仕事するばかりではなく、自己啓発し、次のステップに進む準備を常にしておかなければならない。銀行員時代、数々の試験を受けたのはそういう意味がある。

 次のステップを目指す作業は永遠に続くので、人生のほとんどは、何かをするための「準備期間」なのである。

 さしづめ、今の私などは、ある程度のことは経験してきているので、死ぬための準備も念頭に入れ、さらなる精進をするということだ。

 仕事がじり貧になると社長の立ち場がなくなるので、常に拡大するような方策を準備しなければならないのが「生きがい」になっているのかも知れない。

本当に豊かな人

 本当に豊かな人は、

 お金に拘束されないで一日を暮らす人。

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 お金が無くて、欲しいものが買えない人、

 逆に、持ってるお金に拘束されている人間、

 どちらも、不自由な人である。

2017年12月24日 (日)

簡単に事はならない

 簡単に「事」は成らない。簡単に「事」は進まない。

 だからいいのだ。

 「そこ」だけ努力すれば、「それ」だけ分かれば誰でもプロになれるような甘い世の中ではない。努力に反して地獄に落ちたりしても、そこであきらめないでジッと耐え抜くパワーがあるかどうかも試される。

 また、「そこ」は完成の表面的な一部分に過ぎない。それを支える経験、資金、時間、それを取り巻く学問、知識など数々の要因が準備できて初めて挑戦できる。

 例えば、スキーをはいて一年山に行って練習したくらいで、プロになれないのと同じ。上から下へチョロチョロ滑り落ちたからといって誰も認めてくれない。どの世界も甘くはないのだ。

 本当に力ある者しか手に入れることが出来ない。資質との戦いばかりではない、長時間の戦いに耐えられるかどうかだ。「それ」がために何年も修業し経験を積むことが出来るか。

 しかも、日常生活を離れ、何日間も拘束され、家に戻れないこともあるだろう。

 65年間の人生の戦いの全てをかけて挑戦しようとしているのに、簡単に数カ月で結果を出そうとしても無理である。

 実力と運をかけて挑戦する者だけが勝者になっるのだ。

国語で科学する

 以前、「算数を国語で解く」と書いたことがある。私の場合、思考やひらめきを国語(言葉)に置き換え、国語で筋道をつけて何か開発している。

 指先や実験道具などではなく、国語で科学するのである。

2017年12月23日 (土)

イモを洗うサル

 世界中のどこかで、イモを洗って食べるサルが出現すると、たちまち世界中の全てのサルが一斉に芋を洗って食べることを始めるという話を聞いた。

 イモは土から掘り起こしてそのまま食べるより、洗って食べた方がいいと誰かが気づくと、他のサルに教えたりしなくても世界中に広まってしまう現象だ。

 私がいいことを始めると、2年もたたないうちに各地に広まるのはそういう現象でもある。私も誰かがいいことを始めると、敏感に感じ取って同じことに挑戦している。

 そうして、瞬時に世の中が発展してゆくのだ。

2017年12月22日 (金)

私が始めれば全国に広がる

 私が事業を始めれば全国に広がる。

 私が全国展開し大きくなったというのではない。私がいいと思った事業のことを誰かに話せば、それがまた誰かに伝わり、ついには私と同じようにする連中が増えてくるということだ。

 お墓の展示場展開も、25年前はあまりなかった。墓地現場によって経費が異なるから価格付けが出来なかったのだろう。しかし私はあえて“全ての現場同一価格”を打ち出し、商品を展示し、「完成お引き渡し価格」を明示した。

 そうして商売繁盛したのを他の石材店に話したら皆マネをして全国展示場だらけになった。

 だから、自分一人でやってもつまらない、自分だけやっても小さなことだと考えないで、まず自分が手本を示せば、全国的に広がると思って挑戦することだ。

 大きく偉大な相手でも、一か所崩せば全国に広がる。そう思って、小さな一歩だとしても新しい道を開拓しなければならない。

見るな、目を閉じろ

 自分にとってどうしようもない不利な状況。自分の力では挽回できないようなもの。そういう相手に対して固執していたら精神的にもまいってしまう。

 そんなときは、見ないこと、目を閉じることである。そして、自分の得意なもの、やるべきものに意識を持ってゆくことだ。

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 私は高所恐怖症である。ふとしたことでジェットコースターに乗り、頂上に連れていかれたときは「しまった!」と思った。

 「失敗した、人生最大の危機!」と気付いたが手遅れだった。

 そのときひらめいたのが、目を閉じて体の揺れにじっと耐えること。体は頑丈なので少々の振動は我慢できる。そのうち終点に着いて無事解放された。目を開けていたら病院に運ばれていただろう。

 不利な状況、嫌な奴、不得手なもの・・・、そんな相手に心が向いていると、もうどうしようもない。しまいにはうつ病などの精神病になってしまう。

 命を失ってしまいかねないのだ。

 この世は楽しいことがいっぱいある。そういう方面で世の中の役に立ち、生活してゆけばいいのだ。明るい方向を見ることに真剣に取り組まないとやられてしまう。

朝の力

 今日も朝の力を使おうと、特許申請文章の最後の見直しをした。

 また、朝は仏壇、神様へのお参り、おトイレ掃除、一日分の所定の運動、二つの新聞で情報確認、長文の読経、会社の朝礼と日課が集中している。

 仕事が集中しているときは、朝4時ころからスタートすれば何でも出来る。朝の力を利用すれば大概のことが出来るのだ。

 早起き出来ない人間は何も出来ない。

2017年12月21日 (木)

指揮者

 社長はオーケストラの指揮者のようだ。

 指揮者は何か楽器を演奏することはない。もっぱら演奏は他人にまかせている。しかし、指揮者が曲を選んだり、演奏の仕方も細かくチェックする。

 そして、指揮者次第で演奏会が成功したり失敗したりする。

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 昨日、帰りに当社のイルミネーションを振り返り見たら高く建てた鉄塔が傾いているように見えた。今朝出勤して再度確かめたらやはり少し傾斜している。

 早速担当者に説明し直してもらった。また、トナカイのバックの電球も私のイメージとは違っていたので話したら、同じことを担当者も考えていたらしく、思い通りに直してもらった。

 (ただ、基本的に年末多忙で、イルミネーションに関してはベストとは言えない。あくまでも、準備できた範囲内でのチェックであるが・・・。)

 墓石に関して言えば、現場写真を見て担当者の設計を全てチェックしている。そしてほとんど手直しする。私が目指すのは、合理的で参拝しやすく、シンプルで美しいお墓である。

 また、戒名彫刻するにしても、彫刻位置、文字バランスなど、理論的に正しいか、バランスが取れているかなど細かなチェックをする。

 私は指示するだけ。自分で作ることも手直しすることもしない。もっぱら、指示し続けるのだ。そうして、お客様が満足するような商品を完成させている。

 オーケストラの指揮者のようだと思った。もっとも、演奏者である社員も、私が認めて任せている優秀な連中ばかりである。

朝の不思議な力

 朝起きたての不思議な力を感じている。

 特許案件の理論、文書構成について10日間以上推敲(すいこう)を重ね、これで大丈夫だと思っていたが、今朝起きたら突然、新たな文書構成が浮かんできた。

 早速、部屋の電気をつけ、ペンを取りその考え方で文書をつくり直したら、理論展開がスムーズで内容がすごく分かりやすくなった。

 明日(22日)特許庁に提出予定だが、こういう朝の力が働いたときはうまくゆくことが多い。最後まで緊張感が漂っている。

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 特許墓石「ハチガード」は朝突然ひらめいた特許だった。

 昨日の夜までと、今朝では全く違う人生が待っている。昨日まであきらめていたことが、朝突然解決することがある。

 本当にそう思っている。だから、昨日まであきらめていたことを、今日、もう一度考えてみようと思っている。

 今日実行すれば、うまくゆくようなことがいっぱいある。そうして時代は進歩してきたのだろう。きっとそうだ。

2017年12月20日 (水)

イルミネーション点灯

 年末まで忙しく、イルミネーションどうなるのかと心配していたが、思い切って時間を取り飾りつけした。

 というわけで、今日から点灯。午後4時30分~10時まで。

師走

 12月も下旬になろうとしているが、師走の言葉の通りあわただしくて仕方がない。

 私が直接担当する現場が同時に三か所稼働、その他特許申請書類や1月からの新事業の段取り、再来年春に向けた新事業の準備などで余裕がない。

 また、ここにきてお墓の注文、みんなの墓やみんなの寺の申し込みも相次いでいる。皆、私が関わってしまった案件なので気がかりである。

 しかし、スタッフが優秀なので、段取りし、方向性を打ち出せばあとはスタッフが完璧にやってくれる安心感みたいなものがある。

 私の現場もとりあえず二つ終了、ホッとしている。あと一つは来年までかかる。なるようになると思う。

2017年12月16日 (土)

急展開

 天国から一気に地獄に落ちたと思ったら、急に天国に上りはじめ、安心してたら再び急降下。そして再び天国へと向かっている。

 こんな展開の時は長期的な視野が大事。長期的信念が無いと振り回され、ついには目標まで吹っ飛ばされる。

2017年12月15日 (金)

人生は夢のごとし

 人生は夢のごとし

 若葉の上の朝露(あさつゆ)がごとく

 知らないうちに

 消え失せている

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 若き日にはつらつと弾んでいた心身も

 いつしか老化し動かなくなり

 消え失せる日を

 待つばかり

 振り返れば

 若き日の弾むようなあの人生は

 夢のごとしである

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 とすればせめて

 互いに優しい言葉をかけ合い

 慈愛に満ちた人生を

 心掛けるしかない

天国の中に地獄の始まりがある

 天国の中に地獄の始まりがあり

 地獄の中に天国の入り口がある

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 天国にいて地獄の始まりを察知できる者少なし

 (逃げろ逃げろ)・・・多くの人は気付かないので逃げられるものではない

 地獄にいて天国の入り口気付く人少なし

 (そこで突き進むのだ)・・・多くの人はおっかなびっくりで小さくなってるだけで動けない

2017年12月14日 (木)

やらない方がいいこと

 やった方がいいといっても

 やった方がいいことと、やらない方がいいことはある。

 たとえそれをやらないとしたら

 必ず別のことをやれ

 何かやれ

 何もしなければ

 何もしない人生になる

 何もしない人間になる

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 自分で何とかできることはやった方がいい。

 他人頼みのものは、やらない方がいい。相手のいいようにはゆくけど、自分のいいようにはならない。うまくいっても反動が必ず来る。

 自分で汗かかなければうまくゆかないネ。

やったことを失敗という

 やったこと、それを人は失敗と言い、

 やらなかったこと、それでいいと人は言う。

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 でも、やらなければ何も生まれない。生まれてきた意味が無い。

 私はやってきてよかったと思っている。

実際に間違うから「間違い」という

 自分で実際に間違うから、それを「間違い」という。

 他人の間違いを見ていただけでは「間違い」にはならない。また、考えていただけでは絶対間違わない。

 しかし、間違いのない人生なんんて人生ではない。そうではないのか。だから、やってみるしかないのだ。

 それを他人は「よせばいいのに」と言う。

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 他人の言った方が正しかったことが多いけど・・・。

2017年12月13日 (水)

もっと簡単な道があるのに

 もっと簡単な道があるのに、どうして難しく面倒な方ばかり選んでしまうのだろう。

 そもそも銀行を辞めるなど、65歳の今となっては当時の自分の気持ちが計り知れなくなっているけど、なんかこみ上げるものの方に賭けてみようというギャンブラー的な気持ちだったのは間違いない。

 37歳~40歳の自分は、65歳の今と違い、自分の可能性みたいな、訳の分からないエネルギーを持っていた。そして、どうなるか考えるのではなく、どうなるか実際に試してみたくなるのだからギャンブラーなのだ。

 結果、私は銀行を辞め、アイデアを出し続け、特許墓石とか霊園とか土地造成とか次々に新企画を打ち出していって、落ちぶれることもなく今に至っているのだが、この性格だけは今なお変わっていない。また、自分の湧き出るアイデに自分でもかなり驚いている。

 しかし、私という男は厄介なものだとつくづく思う。たとえ失敗してもやってみなければ気が済まないのだから。この年になってもまだ挑戦しようとしている。

 でも、考えるだけでは絵に描いた餅。やって初めて本当の餅が手に入るのである。

2017年12月12日 (火)

苦が出たらひっくり返せ

 苦が出たら、表の「吉」を探し出しひっくり返せ。

 表の「吉」に気付かなければ、ひっくり返そうと思うことはないだろう。だからまず、苦の反対側にある「吉」を探し出すのだ。

 出来る、必ず出来る。なぜなら、表には必ず裏があり、裏には必ず表が存在するからだ。そして、打つ手は常に無限なのである。

自分でひっくり返さなければ表があっても表が出ず

 人生にもコインにも裏と表があるから、苦があるとしたらその反対側に楽があると言ったけど、黙って何もしないでいて裏が表に変わるのではない。

 自分でひっくり返さなければ、表があっても表が出ることはない。

 表があると信じて、深く考えてみることだ。私はそうして何回も何回も苦境から脱出し、人生の表を出し続けてきた。

 裏が出たら、どうすればひっくり返るか考えればいいのだ。簡単なことである。

2017年12月11日 (月)

いいと思ったのが苦に変わり

 これはいいと思ったのが、苦に変わり、苦と思ったものが、楽に変わる。ウソではない、本当のことだ。

 どちらにせよ、最後にはしっかり人生の貴重な価値(コイン)を手にしている。

 ああしなければよかった、こうすればよかったと悔いばかり残っているようだけど、一つ一つその裏側をひっくり返してみれば、悔いと同じような幸運を手にしている。

 人生はコイン。表があれば裏がある。裏があれば表が必ずある。投げ出したらもったいない。何回でも挑戦できるのだから。

ダメと同じくらいいいことがある

 コインに表と裏があるように、人生というコインに表があるとしたら、同じように裏がある。出来なかったことを悔やむより、出来たことを思い出すがいい。

 コインの裏と表が同じ数で同じ大きさのように、出来なかった数だけ出来たことがある。何かに挑戦し続ける人のことだけど・・・。

 何もしようとしない人は、コインそのものが無いのと同じかも。

1位と2位の差

 読経のスピードのこと。

 読めばいいというものではないかも知れない。お経の意味が分かってくると、リズムが出て、読経するスピードが速くなる。意味が分からないと、読むのがぎこちない。

 したがって、読経スピードによって解釈の度合いが分かる。

 陸上競技でいえば、最後まで完走しゴールすれば皆同じと言うわけにはゆかないのと同じ。1位と2位の差は天と地との位差がある。

 100m走で世界一速いのはボルトだと皆知ってるけど、2番目は誰も知らないのと同じだ。その差が何十分の1秒だけにもかかわらず。

2017年12月10日 (日)

信じられない

 信じられない。

 みさ子が般若心経の暗記に挑戦している。

 伸伍君はもう少しで暗記できるところまで来た。るみ子さんは既に般若心経を暗記し、いま阿弥陀経の読誦に挑戦中。

 私だけやっていたときは、みさ子にいくら言っても全く興味を示さなかったが、伸伍君、るみ子さんにやらせていたら、「自分も」という気になったのか・・・・。

 どうしたらその気になるのか、たぶん性格的なことだとあきらめていたら、こんなところから芽が出てくるとは信じられない。

 みさ子のことだけど・・・・。

生徒作らねば先生にならず

 人生の真理を解読したら、自分だけのものにせず、それを続く者に教え、生徒を作らねば、人生の先生にならず。

 先生になり、先生のままに甘んずれば、生徒に追い越されるなり。先生をしながら、本当の戦い、実践に臨まなければならない。

 後ろに出しながら、ロケットのような推進力で前に進む。出さねば貯まり腐るだけ。

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 読経を伸伍君とるみ子さんに教えている。

 阿弥陀経は特に難しいので、るみ子さんにはお経の意味、読経するリズムについて少しずつアドバイスしている。

 教えながら、自分もさらに認識を深めている。

2017年12月 9日 (土)

新展開

 来年度より事業を新展開させます。

2017年12月 8日 (金)

偶然の命

 私が私であり得るのは何億分の一の奇蹟だろう。偶然の奇蹟によって生まれてきた。

 また、銀行という安泰の場所から離れた私が、その後こうして生活に困らず普通に生活できるのもよく考えてみれば奇跡と言うしかない。

 日常生活においても何度も危険に遭遇した。一歩間違えればあの世に行ってしまったような出来事が何回もあったがこうして間一髪のところで生き延びている。

 これからはあまり無鉄砲なことは避けて通った方がいいと思う。

 そういう前提の下で誰も経験しないようなことに挑戦してゆく。今までのように超危険なリスクに挑戦するというのではなく、未開の地を改革してゆけばいいのだ。

失敗が成功の手掛かり

 手掛けてすぐ成功するなんてことはない。仮にスタートダッシュが良かったとしても、数年で尻つぼみになってしまうものが多い。

 成功するものは、多くの失敗を経て生まれるものだから、誕生までかなりの時間がかかるものだ。

 猊鼻渓の「運太郎」も、最初は全く違うものを作る予定だった。それが文化庁の許可がおりないということで「オリジナルさい銭箱」に変わり、そこから突然「運太郎おみくじ」(モニュメント)が生まれ、さらに「運太郎お守り」(マスコット)が出来た。

 「運太郎お守り」も、当初のものは価格が3800円と高く失敗だった。現在は価格が1300円と600円の2種類となっている。最初の発想から現在まで約2年の歳月がかかっているのだ。

 特許墓石「千年の祈り」は完成まで7年の歳月を要した。

 したがって、最初から満塁ホームランをねらってチャンスが来るのをいつまでも待っていたら、結局何も出来ないで一生を終わってしまうだろう。

 いいと思ったらどんどん手掛け、その中から数年の歳月をかけて改良を重ねたものだけが生き残り、ついにはヒット商品になるのだ。

2017年12月 7日 (木)

干し柿

 失敗と思っていた干し柿、成功かも知れない。 

 先日見た腐ったようなのは、親せきの人が持って来たものだとか(紛らわしいものを台所に置かないでほしい!)。

 私が干している所に行ったら、なんと透き通るようにきれいになっている。去年と場所を変えたのが功を奏している(偶然!)。

 しかし、親せきが失敗したように、微妙な風、日当たり、温度加減で出来方が全く違ってくるのだ。微差小差が勝敗を大きく作用する。特に日当たりかも知れない!!

 細かなところが大事なのだ。

2017年12月 6日 (水)

猊鼻渓「運太郎」

 昨夜、久しぶりに猊鼻渓に行ったら、オリジナル商品「運太郎」が通路の前面に出してもらっていた。

 今までは一番奥の隅っこに置かれていたのに、「運太郎」が猊鼻渓の一員として猊鼻渓の役職員の方々や地域の皆に見直されたということだと思う。

 私の発明した「運太郎」は単なるお土産用マスコットではない。「運太郎」の回りには猊鼻渓の歴史的価値を説明する石材のモニュメントを多数置き、その場所を“運太郎ワールド”に仕上げている(当社内では有一ワールドという人がいるけど・・)。

 したがって、「運太郎」は猊鼻渓の“案内役”なのである。その運太郎マスコットが、人々が通行する一番前に置かれた意味は大きい。

 猊鼻渓の“名物”になってほしいと願って製作したものだが、今年はまだ1年目、これからである。

2017年12月 5日 (火)

阿弥陀経読経

 平穏でゆとり生活の中に、先月から阿弥陀経の読経が日課として入ってきたため、急に忙しくなった。

 とにかく面倒。1785文字もあるから暗記など出来ない。したがって、般若心経(276文字)のように車を運転しながらと言うわけにはゆかない。

 毎日3回ずつ一カ月もやっているので大分慣れてはきたけど、曹洞宗関係のお経と違いリズムが取れないので四苦八苦している。勝手に短気になり、知らないうちに皆に八つ当たりしているかも知れない。

 仕事も忙しいのに大変なものを抱え込んでしまったものだ。

 しかし、阿弥陀経で四苦八苦しているおかげで、暇になるといい加減になる私の生活が大分削られてきたような気もする。

 阿弥陀様が意図するところかも知れない。

ONとOFF

 自分はいつも真面目だと思っていた。一方では常にいい加減だとも思っていた。多重人格者ではないかと薄々感じていたら、生活にはONとOFFがあるとか。

 とすれば、私の場合一日中目まぐるしくON、OFFが入れ替わっているだけなのだ。したがって、真面目な時は誰よりも真面目なのである。

2017年12月 4日 (月)

挨拶の数が人格

 我が家では私が1番先に起きて、次にみさ子(妻)、伸伍君、恵美(長女)と続く。

 私と妻が起きて台所にいる時恵美が起きてくるのだが、恵美が「おはよう」と挨拶するとまずみさ子が「おはよう」と言い、少し遅れて私が「おはよう」と言う。

 恵美は1回で、私と妻が1回ずつ(計2回)。少しおかしいと思っていたので恵美に言った。

 恵美が「おはよう」と言ってみさ子が「おはよう」と言い、さらに私が「おはよう」と言ったとき、恵美はもう一度、今度は私に「おはよう」と言わなければならないと。

 当社でも、私が一番早く来ているから社員が出勤するたび私は何回も「おはよう」を言う。そして、朝礼で皆が並んでいる時私が入って行って「おはよう」。さらに朝礼スタート時、当番が「おはよう」と言い、皆も続いて言う。

 朝は何回「おはよう」言ってもいいのだ。挨拶の数が人格を決めると朝礼で話した。

2017年12月 3日 (日)

柿を干しても干し柿にならず

 どうも、今年の我が家の干し柿は、また失敗したらしい。

 母がむいた渋柿を私が「干せばいいだろ」という安易な考えで、適当な場所に掛けておいた。母に言わせれば、柿を干す場所次第で干し柿の仕上がりが全く違うとか。

 私は忙しいから、昨年より風通しの良いよいところに掛ければいいんだろという考えで、さっさと適当な場所を見つけて干したけど、昨年同様ぐじょぐじょになりカビが生えて失敗。

 そして思った。「柿の気持ちが分かっていなかった」と。

 つまり、米を作るにしても、ただ田に肥料をまいて耕し、そこに稲を植えれば、誰でも同じように米が出来るのではないということか・・・・・。

 仕事も同じだ。ハウステンボスが日本一の施設を作り、そこに社員を配置し受付をさせれば、当然に観光客がやってくると、安易に考えているから我々観光客は“失望”したのだ。

 同じような考えで自分達も仕事をしていなかったか。アイデアいっぱいの高品質の商品を企画し、腕のいい職人を手配し製作し、愛想のいい受付嬢をおいて販売すれば当然に商品は売れる・・・・?

 何かが足りない・・・!

     「柿を思わば、柿を干しても、干し柿にならず」

 お客様のことを思わなければ(研究しなければ)、どんなにいい商品を並べても、商売が繁盛することはないのである。

2017年12月 1日 (金)

「新帰元」、「空」

 曹洞宗の場合、位牌の戒名の上に「新帰元」とか「空」とか書かれる。

 「新帰元」とは、「新しく(今)」無くなって生まれる前の「元」に「帰った」という意味。「空」とは、死んで何も無くなった状態、すなわち「空」になったということ。

 旅行に行って戻ってきたら、「元」の生活に帰っていた。以前と何も変わらない「元」の状態にもどったのだ。

 人生とは、生まれて、人生という旅行をして、いずれ死んで、生まれる前の「元」に帰ること。すなわち、人生とは「空」である。

 最近、そういう前提で人生を考えるようになった。社会、人間、人類のために少しでも貢献して「空」となりたい。

日本のために一言

 こんなこと言いたくないけど、日本のために一言。ハウステンボスのスタッフ、挨拶が全くダメ、0点。

 そもそも、月曜日~火曜日で観光客は少なかった(本当に少なかった)けど、アトラクションの入り口に行ってもスタッフに元気が無い、挨拶も無いに等しい。

 特にホテルに宿泊した翌日、ホテル利用者は開園前の8時30分から園内の散歩が許可されており、宿泊者の多くが散歩していたのだが、サンタクロースの服を着たスタッフが掃除しているのはいいけど、スタッフの1m前を通っても挨拶が無い。

 (そりゃ、たまに誰かは挨拶するけど・・・・。)

 また、スタッフらしい人が首からネームプレートを付け、朝の準備のために歩いているのだが挨拶が無い。スタッフ同士すれ違ってもお互いに無言のまま。

 ミューズホール(アトラクション)のように宝塚にも引けを取らない超一流のものがあったり、 建物群(施設)は日本一と言いたいくらいすばらしいけど、ディズニーランドのように、もう一度行きたいとは絶対思わない。

 だからHIS(会社)全体として赤字なのだ。

 赤字だから対応が悪い→対応が悪いから顧客が来ない→悪循環。ハウステンボス自体は、施設にものすごいお金をかけているから、今のところ観光客も来て黒字だと言うが、これではいつまで持つか分からない。そのうち身売りに出るだろう。

 湯布院も大したことない、別府温泉はすごくよかった。旅行全体としては、全て初体験だったので大満足。ハウステンボスのスタッフも、九州らしさ?かも知れないので満足、後味は全然悪くない。

 しかし、九州ってあんなものだ。人情豊かな東北、岩手に来てケライ。

九州旅行(夫婦)

 11月27日(月)~30日(3泊4日)、夫婦で九州に旅行に行ってきました。

 *27日:午前7時40分仙台空港発→福岡空港着午前9時55分

   福岡空港から移動はレンタカー(クラウン)貸し切り4日間

   →午後12時30分佐世保市ハウステンボス着→アトラクション、夜景など

   ハウステンボス内ホテルヨーロッパ泊

 *28日:午前中:ハウステンボス内アトラクションなど

   午後長崎港へ移動→グラバー園見学→大分県湯布院に移動

   湯布院温泉宿泊

 *29日湯布院散策→阿蘇山見学→九重大吊橋(日本一)見学→別府市に移動

   別府温泉宿泊

 *30日別府温泉地獄めぐり→福岡県大宰府八幡宮参拝

   午後5時10分福岡空港発→仙台空港午後6時40分着→自宅

                 以上、3泊4日で約40万円(2人分)の旅でした。

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