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2018年10月31日 (水)

みんなつながっている

 みんなつながっている。

 自分だけいいというわけにはゆかない。・・・・ということが分かる。

他人頼みでは1番になれない

 他人の中に1番を見つけるのは難しい。

 自分の中に1番を見つけるのも難しい。

 しかし、まず、自分を磨くしかない。

楽しいかどうか

 それをすることが楽しいかどうか。そして、ナンバー1かどうか。

 ナンバー1以外のものは、単なる趣味である。事業としては成り立たない。野球が楽しくても、どこかナンバー1の部分が無いとプロとしてお金をいただけない。

 9人必要な野球は枠が9つあるかも知れないが、事業は売れるところが1つと、売れないところその他全部である。

2018年10月29日 (月)

ストック(財産)ではなくフロー(成長性)

 結局、求められているのはストック(財産)ではなくフロー(成長性)だ。

 「過去」ではなく「未来」。

 何をやったかではなく、これから何をやろうとしているかが、その人の価値である。

6時間対談

 昨日は仙台の佐藤君と6時間対談。

 そこから見えてきたものが何かを検証。

2018年10月28日 (日)

何をやってきたかではなくこれから何が出来るか

 私は一関霊園や数々の特許墓石など多くの実績を残してきた。

 しかし今思っている。今まで何をやってきたかではなく、これから何が出来るかが問われているのだと。

 私の価値を決めるのは、今までの私ではなく、これからの私である。

2018年10月27日 (土)

65歳まだこれから

 65歳、まだこれからかも知れない。

 やらなければならないことが、まだまだありそう。

2018年10月26日 (金)

普通の生活とは

 「普通の生活」とは、心安らかに朝をむかえ、夜に休むことが出来る生活である。

 解放された安田順平さんも、普通の生活を送ることがいかに素晴らしく、難しいことかを実感していると思う。

2018年10月25日 (木)

夢を見る

 大きな手術をした後に、動けなくなる時間を過ごしたことがある。

 成り行きに任せるしかない。

 そういう生活にどういう意味があるのか、なんてことも考えられない。そんな日々を過ごさなければならない時もある。

 そんな時は、治ったらこうしたい、という夢でも見ればいい。

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 思いっきり絵をかいてみたい。

 思いっきり走ってみたい。

 思いっきり買い物したい。

 思いっきり旅行したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で、思いっきりどうする、と皆に聞いてみたら、最終的に普通の生活に戻ることだと。

 普通の生活って貴重なのだ。

新聞に載る

 昨日の「猿」の件。

 私の提供した「猿」の写真が今朝の新聞に載った。写真提供後、電話取材があったので、予感はあったが、撮影者の私の紹介もあった。

 過去に、「一関霊園」関係で(私の名前が)新聞に2回載ったことがあるがそれ以来。久々のヒット商品となった。・・・・・「猿」が。

2018年10月24日 (水)

通勤途中に「猿」

 今朝、通勤途中に「猿」に遭遇。

 野生にしては人慣れしている。とっさに写真を撮った私の方に歩いてきて人間を怖がる様子もない。

 私の前を通り過ぎて一関方面へゆっくり歩道を歩いて行った。

 警察に連絡したら、既に猿を見つけた人から連絡が入っているとのこと。10枚程度撮った写真は、いつもお世話になっている岩手日日新聞にも提供。

2018年10月23日 (火)

人生に新機能を取り込め

 人生に新機能を取り込む。

 それは、自分がパワーアップすということ。

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 ‟自分というデザイン”が変わるわけではない。

新機能

 新商品には、新機能がついている。

 デザインが新しいというのは、目先を変えるだけ。

 本質が変わらなければ、新商品とは言えない。

2018年10月22日 (月)

5社講中

 我が部落には先祖が祭った神社が約10社ほどあり、そのうち5社を祭る講中(合同参拝行事)が昨日11時~15時行われた。

 5社は今から500年以上前に建立され、毎年定期的に行事が行われていたと思えるが、はっきりした記録があるのは昭和26年分からで、現在はその記録に基づいて行われている。

 正に、「敬天愛人」(天を敬い、人を愛する)の実践である。

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 各神社は、皆で改修して現在に至っているが、私が別当になっている神社は、古くなって床も抜け落ちる状態だったのを、私が平成18年に新築した。

2018年10月20日 (土)

とりあえずホッカイロ

 社長は社員のことを考えると言ったけど、とりあえず外で働く工事部の社員に11月1日から毎日ホッカイロを配布すると朝礼で言った。

 思ったことは、即実行するようにしている。

 缶コーヒーは、十年以上前から毎朝提供している。帰りには、当日の業務日誌を書く時、お茶とお菓子が出る。ささやかではあるけど・・・。

墓石に出会わなかったら

 昨日テレビで、バイクを自分でコーディネートして楽しんでいる男性が、「バイクに出会わなかったら自分を表現することが出来なかった」と言っていた。

 私もいつも思うことがある。

 墓石に出会わなかったら、自分を表現できなかったろうと。私にとって墓石は「運命の商品」だと思っている。

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 墓石は私のアイデアを生かすことが出来る数少ない商品である。私が事業として出来る商品としては唯一のものだろう。

 墓石だから、私でも特許を取得することが出来た。

 また、墓石があったから、霊園作ったり、本堂建てたり、みんなの墓作ったり、お寺関係の仕事をしたりして業務を展開している。

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 「運命の商品」だけど、墓石だけにこだわってはいられない時代に来ている。

2018年10月19日 (金)

社員のことを考える

 社長は、お客様のことを考える前に、社員のことを考えなければならない、と教えられた。

「送骨」受付

 「みんなの墓」に「ゆうパック」で遺骨が‟送骨”された。

 「みんなの墓」の遺骨受付サービスの一つで、これからもこういう風に遺骨が送られてくるケースが増えてくると思う。

 詳しくは「NPО法人みんなの寺」のホームページに掲載されています。

2018年10月18日 (木)

公務員

 「なぜ出来ないか」を探し出す名人

           =公務員

 「どうしたら出来るか」を見つける名人

           =成功者

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 公務員じゃないのに、公務員みたいな生き方する人もいる。

2018年10月17日 (水)

5割の可能性があればやる

 私は、5割の可能性があればやる(1パーセントの可能性でもやるかも知れない)。失敗など恐れない。成功すれば、世の中を大きく変えることが出来るからだ。

 しかし、市役所の連中は99.9パーセント大丈夫でも、0.1パーセントの問題があれば、絶対やらない。銀行も同じ、だから私は銀行を辞めたのかも・・・。

 公務員の社会では、0.1パーセントの出来ない理由を探し当てた人間が、サスガだと重宝される。だから、日本はダメなのだ。

 これから、AI(人工頭脳)、自動運転、ロボット・・・と、どんどん新しい技術革新がなされてゆくだろう。規制をかけ実用化されなければ、中国、アメリカに引き離されてゆくだけだ。

 シケタ、いくじなし公務員などに日本を管理させるわけにはゆかない。

市役所に行く

 久しぶりに市役所に行って来た。銀行を辞めて30年たち、自分の思うままに仕事をしてきた人間にとっては堅ぐるしい場所だった。

 若い世代に代替わりして、それがさらにひどくなった。アレも出来ない、これもダメ、あらためて申請書を提出していただき2週間くらいかけて審査した後に、私が必要としている書類(写真)を出します・・・・???!!!

 市役所のパソコンの画面に表示された私所有の土地の衛星写真を私のデジカメで撮影したいだけなんだけど、それが出来ない。文書公開に関する申請書を出して、審査するのに2週間かかるんだと・・・。

 原始的で、面倒な社会がそこに繰り広げられていた。

 公務員は、税金から給料もらい、地方公務員法を見るとその地位もかなり保証されている(簡単に辞めさせられない)。

 そういう社会では、面倒なヤツであればあるほど重宝される。安易に市民の要望に応えるより、面倒言って何もしない方が楽。それでも給料は絶対下がらない。

 だから、面倒を正当化するヤツラが幅を利かせているのだ。みんなシケタ顔して仕事をしていた。買い物する商店の社員とは全く違う、異質な空間だ。

投資は沈み込み推進法

 営業や工事活動が、水泳の「手足ばたつかせ手法」だとすれば、投資は「沈み込み推進法」だ。

 当社も、何千万円もかけ設備投資をし、墓石店舗や工場を建設したり、億単位のお金を投資し一関霊園やみんなの墓を創設した。

 一人ひとりの活動だけで、お客様と契約したり、お墓を作ったりしてお金をいただけるわけではない。お金をいただく前に、それ以上の投資をしているのであり、それが皆の活動や会社を前進させる推進力になっているのだ。

 だから、お金を儲けるというより、世の中に貢献したいと思って自分のお金を‟つぎ込める”人間が、誰よりも早く前進出来ることになる。

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 一方、同じ投資をするにしても、もっと儲けよう、デカくなろうという欲望でやったものは失敗する。

 それは、「沈み込み投資」ではなく、「積み立て型投資」だからであり、最初から積み立ててゆこうという思惑で投資するものだ。

 しかし、店舗を大きくし利益を上げようと、無理に拡大し積み上げたものはやがて崩れる。「積み上げる」から崩れるのだ。「沈み込ませ」れば前進する。

 儲けようと手足をばたつかせるだけの人は見苦しい。その前に、「沈み込み」投資するようでなければならない。

2018年10月16日 (火)

ランキングはウソ、自分で決めろ

 9月22日付の日経新聞の紙面(プラス1)「何でもランキング」欄で、遊覧船で巡る景勝地の全国1位が青森県の「十和田湖」、2位が我が地元の「猊鼻渓」だった。

 ちなみに、3位が北海道「大沼国定公園」、4位栃木県「中禅寺湖」、5位新潟県「奥只見湖」、6位神奈川県「芦ノ湖」、・・・・・・。

 青森県の「十和田湖」は以前行ったことがあり、あまりいい印象が無かったが、せっかく全国1位と新聞に載ってるのだからと思い、先の「恐山」参拝のついでに何十年ぶりに行ってみた。

 結果、やはり「がっかり」。何もいいところがない。田舎の山奥にもかかわらず、変な‟呼び込み人”などもいる。廃れているという印象。

 わざわざ行ったことには悔いはないけど、「銘菓にうまいもの無し」、評判がいいからと言って内容がいいとは限らない。日経新聞の担当者の実力も疑われる(日経新聞で株が上がると載っているときは、これから下がると思えば間違いない。それと同じだ)。

 いずれ、ランキングを決めるのは、自分の感覚が一番である。地元の「猊鼻渓」は何回も船に乗っているが、船頭さんの力量(話題、話術)がスゴイ。正に全国でも上位ランクだと思う。

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 少し訂正。

 「十和田湖」は、十和田湖単体ではなく、「八甲田山(ロープウエーを上ってから山登り、散策コースがある)」、「酸ヶ湯温泉日帰り入浴(1時間程度の滞在で十分楽しめる)」、「奥入瀬渓流散策(十和田湖から流れる唯一の川)」の、一連の観光群としてとらえると、存在感があるのは確かである。

 それぞれがさほど離れておらず、しかも一本道の山道(木が生い茂っている細道=一応国道)でつながっているからだ。

沈み込みは推進力

 水泳で前に進もうとする手段として、手でかいたり、足をばたつかせたりする他に、頭と体の前方を沈み込ませ、水面に浮き上がろうとする力を推進力にする方法がある(バタフライの要領)。手足を全く動かさなくても、体の浮き沈みだけで前進するのだ。

 水の中での手足の運動が不得意な私は、クロールで一方の手を水に入れる際、頭と前方の体も水の中に沈みこませ、もう一方の手の動きに合わせ体を水面に出す時の推進力を利用して泳いでいる。

 その方が、手足をばたつかせるだけより、スマートでスピードが出る。失敗による沈み込みが成功への推進力になるのと同じだ。

2018年10月15日 (月)

80歳までの目標は60歳までの目標と違う

 60歳~65歳までに実現したい目標は、やはり事業で成功し豊かになりたい、みたいな成功体験だろう。若い連中もお金が欲しい・・などというのが目標かも知れない。

 そのために必死で節約し、がむしゃらに働いてきた。

 しかし、65歳~80歳までの間に成し遂げたい目標は、お金ではない。お金を持って死んでも何にもならない。相続人のための人生なんておかしい。

 65歳までに、大きな目標に到達したとしても、周辺の小さなことを見逃してきたり、やり残してきているものがあるはずだ。

 大きな目標だった恐山参拝後は周辺の観光地に行くのもいい。せっかく遠くまで行ったのだからそのまま帰るのはもったいない。そこら辺のところに目配りして挑戦してみるのがこれからの目標かも知れない。これからはそんな人生だと思う。

 また、そうしてやっているうちに、もっとすごいものに巡り合えるかも知れない。

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 60歳前の若い連中は、必死に頑張ることだ。それが、後を継いでゆくということである。そのための応援は惜しみなくする。

 それもこれからの私の役割の一つではある。

今日という旅行の目的地

 今日という旅行の目的地はどこですか。今日やらなければならないことは、既に考えてきて、朝のうちにそのほとんどを実行した。

 私は、出来るものであれば、朝一番にその日のほとんどを済ませるようにしている。したがって、朝からスピードアップしている。

 そして、次々に目的、目標を持たないと、今日という大事な旅行が意味のないものになってしまうのだ。

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 また、今日、目的地に到着しなかったり、今日の到着予定が無かったとしても、未来の達成のための‟移動期間”の一日だとしたら、それでも問題無い。

 目的、目標が常に認識されていればいい。

2018年10月14日 (日)

意味ある人生

 日本三大霊場の一つの「恐山」(青森)にみさ子(妻)と行って来た(自家用車で300km以上移動)。期待していたが、別に感動するようなところでもなく、名前負けする霊場だった(昼食込みで2時間滞在)。硫黄の臭いがして温泉が湧き出しているところもあったが、霊場内には荒(すさ)んだ温泉小屋があり、たまたま外人が一人入浴していた。

 その後、本州最北端の「大間岬」、マグロ船が入港する「大間港」を訪問し、その日は「下風呂温泉」泊まり。おいしい料理をごちそうになった。

 翌日の「仏が浦」の遊覧船観光は、観音様や蓮華の形をした岩壁が壮観だった。そして、南下して「浅虫水族館」をみて、「浅虫温泉」に泊まった。

 最終日(三日目)は「八甲田山ロープウエー」、「酸ヶ湯温泉入浴」、「奥入瀬渓流観光」、「十和田湖遊覧船観光」など、青森県の主な観光名所を巡って帰省。

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 走行距離で900kmも青森県を‟ウロウロ”していて思ったことがある。

 もし、今回の行脚に「恐山」参拝などの‟目的”が無かったら、本当に単なる‟ウロウロ”になっていたのではないか。‟目的”があって、それを一つ一つ達成してゆくことによって満足感が得られ、‟意味ある旅行”になっていたのだ。

 「人生」も「旅行」と同じだ。

 目的、目標を持たず、ダラダラ、ウロウロ、何気も無く日々を過ごしていたら、なんと味気ない人生になってしまうだろう。

 65歳から80までの人生を‟余生”=余った人生などと気軽に考えたのでは、本当に意味のない人生になってしまう。

 しっかり、目的、目標を持たなければならないと思う。やることは多い。これからもドンドン(やりたいことが)湧いてくると思う。

 そして、ワクワクする人生をおくりたい。そんな決意を持って(旅行から)帰って来た。

2018年10月 9日 (火)

80歳の時悔まない人生

 37歳の時思った。

 60歳で定年の年になって悔いのない人生だったと振り返るには、このまま銀行に勤めていないで他の仕事に武者修行に出るしかない、と。

 そうして銀行を辞め新しく会社を興して、いろんな逆境、苦難で勉強しながら65歳を迎え、今まで自分ながら満足する人生だと思っている。

 今、考えている。

 80歳になって振り返り、悔まないためには、従来の考え方、やり方の延長でこのまま人生を送ることは出来ない、と。

 今の会社は、技術的に非常に高度で、私が全体をコントロールしてゆかないと完璧な商品が出来ない。一つ一つはそれぞれの担当者が全て仕上げているが、オーケストラの指揮者は今のところ私しかいない。今後もしばらくそういう状態が続くだろう。

 しかし、このやり方を変えなければ新しい時代に対応することも出来ないだろうし、私自身80歳になって、変わることの出来なかった自分を悔むことになるだろう。

 何とかしなければならない。

2018年10月 8日 (月)

地区民運動会

 昨日は地区民運動会。今年も徒競走は50歳代で出場。65歳だけど、50歳代で負けたことがない。

 今年の50歳代はどういう顔ぶれになるか見渡したら、若いころ足が早かった他地区の年下の新米がエントリーしてきた。何年か前に大けがをしてしばらく走るのから遠ざかっていたとか。

 昨年から練習始めたと言って、いつものようにオリンピックの陸上選手のような肌に密着したパンツをはいてきた。若いころからおなじみのスタイル。

 私は毎回、足が早そうな相手に注意するのだが、彼に近づいて言った。「徒競走はルールがあって、年上の者の前を走ってはダメだぞ」と。

 彼は「ゴール寸前だけ前に行かせてもらいます」と笑って答えた。

 いざ、ピストルが鳴ってスタートした。ケガをした彼の練習不足は想像以上だった。圧倒的に引き離し、私が最初にゴールを切った。彼は2位。その他の連中は全く問題にならない。

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 最後のオープンリレー。

 今年、我が地区のメンバーはいつもと違っていた。Uターンで若くて徒競走に自信のある連中がそろっていた。いつもは、当然に私もメンバーに入るのだが、今年はぎりぎりセーフ。

 となると、もしかしたら一位(全部で8チーム)になるのではという予感がした。こんな気持ちになったのは何十年ぶりだろう。

 我がチームは年の順で走る順番を決める。ということは、私が一番年上でアンカーを走ることになった。何十年と必ず私より年上の者がいたので、最後を走るなんて初めてで少し緊張した。

 スタートして、最初はいつものように3番手~4番手でバトンが渡されていたので一安心していたら、なんと途中から1番になったではないか。

 ということは、私に1番でバトンが渡される可能性が出てきた。マズイことになった・・・。そして、いつか追い越されるのではと思っていたら、なんと、そのまま1番で私に向かって来たではないか。

 2番手とは4メートル~5メートル差の有利な状況だが、2番手のアンカーは20歳代の足の速そうな筋肉系。しかし、従来一人200メートル走るのが今年から100メートルに短くなっていたので、何とかこのまま持つかもしれないという希望はあった。

 ところが、見ていた孫の聖君曰く。バトン渡された後、アッという間に差が縮まって、ジジもうダメだと思った、と。みさ子(妻)もバトン渡されてからすぐ追いつかれたので、必死に声を出し応援したとか。

 しかし、私は偶然にも私を追いかけている若者に、リレーがスタートする前に声をかけていた。肩を抱いて、「いいか、頑張るな(無理するな)よ」と。

 私は足の早そうな連中に事前に声をかけておくクセがある。仲良くやろうぜ、という儀礼みたいなものだ。

 それが効いたのかも知れない。また、100メートルリレーの場合、バトンを渡された後、間もなくカーブになるので、一気に追い越しづらい。そのままカーブを曲がり切ればゴールもすぐそこだ。

 ということで、私は必死になって逃げようと頑張った。

 筋肉は65歳でかなり落ちているから20歳代の連中にはかなわないが、走るバランスがいいところが私の持ち味だ。短距離走は、手の振りと足の運びの微妙なバランスが重要だということを、ほとんどの連中は知らない。

 そして、追いつかれたままの状態だったが、私はとうとうトップでゴールを切った。これほど感動したのは久しぶりである。

2018年10月 6日 (土)

奇蹟が起きている

 私の目の前に立ちふさがって、長年私にプレッシャーをかけてきた連中と、とりあえず対等に渡り合えるチャンスをつかんだ。

 こんな奇跡的なことが起ころうなんて、誰が予想出来たろう。こうしていられることすべてが奇跡である。

 奇蹟は誰でも、どんな時でもつかむことが出来る。心を静めて、何とかしようなどということさえも期待しないで、ただ素直に受け入れることが出来れば、チャンスは必ず来る。。

 そして、勇気を出して、一歩踏み出せば、信じられない奇跡が起こるのだ。

何を楽しむか

 何をすればいいか、ではなく

 何を楽しむか。

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 死ぬまでにやってみたかったことは、なんと、来月実行することになった(マル秘事項)。

 今欲しいと思っているものは、来年3月に購入予定(高額)。

 毎年行っている夫婦旅行(昨年は九州ハウステンボス、別府温泉など3泊4日)、今年は来週、日本3大霊場の恐山(青森むつ市)に2泊3日で参拝予定。(比叡山、高野山は別々の年に既に夫婦で参拝している。)

 会社を創業したり、特許墓石を開発したり、霊園作ったり、家作ったり、寄付したり・・・、皆、何としてもやってみたかったこと。それがお客様のためになっているものは事業になっている(もちろん、ラーメンなど事業に向かなかったものも多い)。

 楽しむことだけ考えた方がいい。仕事に楽しみを見出した人は、いくらでも時間かけられるから幸せである。会社を創業した私は、24時間365日働きづめ。回りの人間は‟気の毒”と思っていたらしいけど、あれほど充実した時間は無かった。

 現在、やり過ぎて‟楽しみ疲れ”状態。今年中に新たな楽しみの目標見つけなければ「目標喪失状態」になる。

 面倒な性格である。

幸福の悲劇

 努力、精進無しにつかんだ幸福の多くは、

 悲劇を残して去ってゆく。

 元も子もなくなる(子=利息ばかりではなく、元=元金も無くなる)。

2018年10月 5日 (金)

儲からない方が安全

 赤字じゃ困るけど、

 バブルで儲かるより、儲からない方が安全。

 みんな高収入の人が潰(つぶ)れている。

 ホント。

    * * * 

 ・・・・・・・と、言いながら、

 気を付けながら儲けたいと思っている私です。

 うまくゆかないけど・・・・。

頭を下げるのはどっちか

 公務員は、豊富な知識と権限を振りかざして我々をいじめ、我々に頭を下げさせるのを最終目的とせず、我々が頭を下げなくてもいいようにするのが公僕としての務めではないか、と私は言った。

 そうして、彼らは私に頭を下げた。

 皆、お客様に対し姿勢を低くし、頭を下げて、笑顔で対応している。公務員にとって我々一般市民は税金を払い(公務員の)生活を養っているお客様であることを肝に銘ずべきである。

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 公務員は一般市民の何倍もの給料をもらっていることはあまり知られていない。

 どっかの役所の市長を送迎する運転手(公務員)は、市長の行動が休日に及ぶこともあり、給料は市長より高いとか。いくらなんでもひどすぎる話だ・・・。

 大阪市バスの運転手(公務員)は、一般会社のバスの運転手の何倍もの給料をもらっていることが大阪維新の会橋本元市長により指摘されたのは記憶に新しい。それでいて、運転手の対応が最悪なんだとか・・・。許せない。

 幼稚園児を横断歩道で見守る「みどりのおばさん」(公務員)の給料が年収700万円だったと、ある講演会で聞いたことがある。‟おばさん”だから、「年功序列」で給料が高いのだ。ボランティアでやる人も多い中、あきれるばかりである。

 そうでありながら、不機嫌な顔をして、我々を指導という名でいじめようとするのでは絶対許せない。

 やっぱり、笑顔だね。

2018年10月 3日 (水)

今日は昨日の上に積み重なってゆく

 昨日時点でベストの状態に仕上げたと思っても、今日になるとさらに進化させたい欲望が湧いてくる。

 昨日を一生懸命生きて仕上げたものは、今日という新しい一日に新しい光を呼び込むのだ。

 今日は昨日の上に積み重なってゆくのである。

新しい一日、新しい商品

 今日は昨日と全く違う。

 今日は何と新鮮だろう。そういう感覚で今日を迎えなければならない。

 新しい一日には、それにふさわしい新しい商品が必要である。昨日より少しでも進化、変化していなければ、今日を生きてはゆけないのである。

法第何条か

 法治国家は法律が全てである。したがって、政府が何かをやろうとする場合、既存の法律でまかなわれない時は新しく法律を作って実行する。

 国会が立法府と呼ばれ重要機関である所以である。したがって、国会の過半数を取れば何でも出来るともいえる。

 我々も同じ。パワハラを受けた、精神的に圧迫を受けたと言っても相手がどういう法律を犯しているのか、違反とする法律の条文を明示しなければならない。

 普段何気なく生活しているが、本来は法律が分からないと法治国家では生きてゆけないのだ。逆に言えば、法律を熟知し、行使してゆけば自らの権利を守って生きてゆくことが出来るのである。

2018年10月 2日 (火)

「さい」は投げられた

 「さい」は投げられた。

 戦いが始まった。

 ・・・・・・・と言っても、すぐ決着つけるけど。

9月以降仕事が増える

 昨年もそうだったが、9月以降の仕事が増えてきている。

 お墓屋はお盆や9月のお彼岸までが忙しいのだが、今年も9月以降の契約が増えてきている。

 昨年も同様であり、なぜなのか分からない。

2018年10月 1日 (月)

保健所の担当者をパワハラで訴える

 体操競技団体、レスリング競技団体、相撲団体などにおける選手の、監督や上部組織へのパワハラの訴えが続いている。

 面倒見てもらっている‟負い目”から我慢して生活するしかない。将来、組織から切り離され、活動できなくなる不安から言う通りにして耐えるしかない・・・。

 そうして我慢していると、どんどんパワハラがエスカレートしてくる。それが頂点に達した結果爆発し、パワハラに対する訴えが次から次へと出てきたのだ。

 当社は、監督官庁である保健所の担当者によるパワハラにあっている。監督官庁である権限を振りかざし横暴な言動が続いている。何年もの間我慢していたが、限度を越してきた。

 そこで、担当者を当社に対するパワハラ行為で訴えることにした。訴えなければ絶対改められることはない。勇気を出して発言しなければ道は開けないのだ。

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