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2018年12月28日 (金)

「すべき」か「したい」か

 「したい」と思って銀行を飛び出し、訳も分からず突き進み、訳も分からずうまくいって来た。

 その後、調子よくなってくると、「すべき」人生に変わった。もっと拡大「すべき」、もっといろいろ試「すべき」・・・。

 しかし、理路整然と考えた「すべき」人生はことごとく苦労と失敗ばかりだった。

 やはり、「したい」人生がいい。

 また、「やらなければならない」という背水の陣の人生もOKだ。子供たちは、会社を継がなければならないと言って、当社で一生懸命やっている。

2018年12月27日 (木)

明るさを全うする

 物事は明るい方から見たほうがいい。暗い方から見ることはない。

 明るい方から見ても、裏面は暗いままで存在する。意識しなくても、暗い部分はそこにちゃんと存在しているのだ。

 ならば、安心して明るい方から見て生活した方上がいい。裏面に暗い部分を持っているのだから、何もごまかしてはいない、ズルしていない、逃げてもいない。

 明るさを全うすることは、暗さを全うすることでもある。だから、一生懸命明るい部分で生きよう。

2018年12月26日 (水)

生を全うすること

 生を歓喜に満ちて全うすることこそ、

 死を全うすることである。

2018年12月24日 (月)

お釈迦様に一言

 確かに生きるということは一切行苦であることに間違いはない。

 しかしながら、物事には2面性、裏と表がある。「苦」の裏側は「楽」であり、どうせ人生を歩くなら楽を求めて行く方がいいのではないか。

 自分に起こったことに対し、「つまらない」、「ついていない」と考えればどこまでも同じような不運が起こって来る。良いことまでつい「つまらない」と言ってしまうようになるのではないか。

 それに対し「ついてる」と言えば、次から次へと「ついてる」発想が湧き、人生がどんどん好転してゆく。

 世の成功者は皆そうして生きていると思う。確かに最後は皆死ぬ。諸行無常、諸法無我である。しかし、だから人生は苦であると言ったら生きる意味がなくなる。

 生きている間は明るく生きたい。

2018年12月23日 (日)

一切行苦

 なぜ、釈迦は一切行苦と、生きていること自体が苦であると言ったのか。人は幸せを求めて生きているのではないか。それなのに、一切が苦であるとはどういうことか。

 それは諸行無常、すなわち全てのものが変化し又は消滅する運命の世界にいながら永遠を求めて生きているからである。

 また、諸法無我、すなわち全て実態のない空の世界にいながら、実態を求めて生きているからである。

 それが、苦の根本的な原因である。

2018年12月20日 (木)

釈迦の教え=四句

 諸行無常=全てのものは変化し現在の形をとどめることはない

 一切行苦=生きていること自体が苦である

 諸法無我=この世に存在するものは空であり形を持たない

 涅槃寂静=煩悩を断じ静けさの境地に生きるのが理想

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 実感できるようになってきたけど・・・・。

2018年12月19日 (水)

年賀状

 個人的には本当に少ないけど、朝のうちに書いてしまった。

 朝の力を利用するしかない。

2018年12月18日 (火)

朝の力

 今朝、出勤したら私宛の面倒なファックスが入っていた。

 朝に最大のパワーがたまっていることを知っているので、早速難問に挑戦し、社員が出勤しない間に対応し、要件を済ませてしまった。

 今日は新しい一日の始まりである。新しいパワーが宿っているのだ。

 その「朝一番の力」を利用すれば、何でも出来てしまう。

2018年12月17日 (月)

今一つ今日一つ生涯一つ

 やることが多すぎたり、自分の不得意な仕事だったりすると、なかなか手が付かない。

 るみ子さんから過去帳に11名の戒名等を書くのを頼まれたが、過去帳が小さい。小さい文字が苦手なので数日机のわきに留め置いたままになっていた。

 でも、このままではズルズル先延ばしになるだけなので今日やろうと心に決めてみた。そういうときの心構えが「今一つ、今日一つ、生涯一つ」。

 どんなに忙しくても、難しくても、今できることは一つだけ。たとえ今日一日いっぱいかかってもいい。一生そのことだけで終わってもいい。

 その一つの仕事だけに命をかける・・・・。そういう決心をしないと面倒な仕事は始められない。

 そして取り掛かかったら、あっという間に書き終えた。

2018年12月15日 (土)

今日という新しい一日

 今日という新しい一日に

 新しいパワーをいただいている

2018年12月13日 (木)

目の前の一つのことに気付き即行

 苦難といっても、全ての苦難が一気に押し寄せるわけではない。たとえそうであっても、今できることは一つだけ。

 まず、目の前の一つのことに気付き即行すること。

 そうしていれば、気が付いたときには深い闇から見事に脱出しているだろう。

働く場所があるという幸福

 どんなに優秀でも、それを生かす働く場所が無ければ生きてゆけない。

 働く場所を確保するということが、実力を出す以前の重要な課題である。

 その場所で、どんな苦難をも受け入れる心構えで取り組めば、必ず幸福がやって来る。

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 銀行を辞めて新たな働く場所となったお墓屋では、お客さんや職人さん、事務員の確保、製品や工事現場の管理など苦難の連続だった。

 泣きたくなるような苦難だったが、それは想定されたものであり、新しいもの好きの私にとっては新鮮でもあり、苦難が相殺されて生き抜いてきた。

 そうして25年。覚悟を決めてやってきた結果、幸福になっていると思う。

2018年12月12日 (水)

簡単な枠取りほど成功しない

 入り易し、成りがたし

 入りがたし、成り易し

 簡単に枠取り出来るようなものは成功しない。

 難しいものほど簡単に成功する。

 成功している人は実は簡単に成功している。

 それは難しいものを手掛けているからだ。

2018年12月11日 (火)

ナンバーワンの「枠取り」が出来るか

 ナンバーワンの「枠取り」が出来るかで、その部門の成否が決まる。

 枠取り自体は、例えば新規事業をおこせば、誰でも勝手に出来るかも知れない。しかし、それがナンバーワンのものでなければその部門で生きてゆけない。

 行列が出来るラーメン屋の隣にラーメン屋を開き、自分なりの「枠取り」をしても、「枠取り」自体が二番煎じのものではいくらそこで頑張っても‟ひんしゅく”を買うだけだろう。

 成功するためには、ナンバーワンの「枠取り」かどうか検証しなければならない。

人生は「枠取り」

 どれだけ頑張るかで人生が決まるのではない。まず、その人が活躍できる「枠を取れるか」が大事だ。

 「枠」が取れなければ、活躍したくても出来ない。あの会社で働きたいと思っても、その会社に「空き枠」が無ければ入れないのだ。

 枠が無ければ、新しい需要の「新しい枠」を自分で創造するしかない。いずれにせよ、仕事をする前に何らかの「枠」が取れているか確認しないと、いくら頑張ってもすぐ頓挫する。

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 私が銀行を辞めたことで、同僚や後輩は内心大変喜んだ。「ポスト(枠)」が一つ空いたからだ。

 私は私で、お墓屋という「枠」がたまたま空いていたので助かった。霊園という「枠」も空いていたからお客様がいっぱい来た。

 活躍する「枠」を見つけることが先決だ。

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 安倍さんも、「首相というポスト(枠)」を得なかったら、現在のような活躍は出来ないのだ。

2018年12月 9日 (日)

得るということは見えなくなること

 「失う」ということは、新しいものを手にするということ。とすれば、「得る」ということは何かを失うということ。大事なものが見えなくなるということ。

 誰も考えつかないような特許や一関霊園など常に新しいものを手にしているのは、その前に多くのものを失ってきたからだ。(最初は銀行員を捨てたところからはじまる・・・。)

 逆に、得たことによって大事なものが見えなくなっていたこともある。そういう時は、大失敗するものだ。

 これを繰り返しているから致命傷にならないで済んでいる。得てばかりいて調子に乗り過ぎていると、地獄に落ちて再起不能になってしまうだろう。

 失うのは悲しいことだけど、そこで踏ん張ればいいのだ。

次の世代で勝負

 今の世代で勝負できないものは、次の世代ですればいい。次の世代で無理なら、次の次の世代のために今から準備すればいい。

 そういうスパンで考える人はいないから、勝てる確率が高くなる。

 私の当面の夢は、この会社を孫の聖君に三代目として継いでもらうことだ。(二代目は現在の娘夫婦)

 単に継いでもらいたいということではない。後を継げるような魅力的な会社にしなくてはならないという意味である。

 聖君に対する希望と言うより、必ず進化続けてゆけるという自分自身に対する期待である。

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 根底には、若い世代が都会に奪われてゆくのが悔しいという思いがある。田舎にいても生きていける、日本一の技術を持ちたいというのが夢である。

 「田舎は田畑だけ」ということではダメだ。

2018年12月 8日 (土)

300年生き残れる会社に出来るか

 300年生き残れる会社に出来るだろうか。

 最低でも、3代100年が目標だ。

 そのためには、常に伸びしろが大きい分野を手掛けてゆかなければならない。

楽しいことをやる

 それから、楽しいことをやればいいのではないかと考えている。

 20歳まではとにかく勉強して、20歳から40歳までは与えられた仕事を一生懸命こなし、40歳から60歳までは全くゼロから自分の特性に従って仕事を立ち上げ、それぞれの世代で一応結果を出してきた。

 65歳から死ぬまでは楽しいことをやればいいのではないかと思う。それが与えられた義務、使命ではないだろうか・・・・と、真面目にしか考えられないところが私の実務的なところである。

頼まれたことをやる

 保護司や寺の総代など、頼まれたことをやっている。

 昨日は13:30~15:30まで保護司の研修会。市内の保護司約60人が参加。研修会では10人程度でグループになり課題の検討をする。

 私は分けられたグループ内でいつも進行役に指名されるようになった。昨日も「小野寺さん進行してよ」と言われたが、遠慮したり躊躇していると皆に迷惑がかかるから「ハイ、じゃ早速始めます」とすぐ受けるようにしている。

 何でも頼まれれば「やる」のが65歳の私が今できる精一杯のことだと思ったからだ。

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 その夜、母親に「65歳から死ぬまでどのように生きればいいか」と尋ねたら、「頼まれたことをやればいいんじゃない」と言われた。

 期せずして同じようなことを考えていたのだ。

 年とってからはあまり出しゃばらずに頼まれたこと、聞かれたことに一生懸命応えることだと思った。

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 寺の総代としては、庫裡建設に関して、図面作製、見積作成(資金計画)、施工業者選択、施工管理などそのほとんどを担当し完成させた。

 また、専属住職の新任にあたり、総会報告や各方面との契約文書などを作成する必要があったので、それらを担当した。

 なんか、私は実務をさせられるようになっているようだ。

2018年12月 7日 (金)

死という大枠で見ると

 「死」という大枠で人生をとらえると、

 お金や物に対する執着が小さくなる。

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 お金や物を持って墓に入れない。

 とすれば、どう生きればいいのか・・・ということ。

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 死ぬなんて、ずいぶん気の早いことを言っていると思うかも知れない。

 しかし、振り返れば40歳の時、このまま60歳まで働き、定年を迎えていいだろうかと疑問に思った。そうして、もっと経験を積もうと銀行を退職したが、あっという間に時間は過ぎ、もう65歳だ。

 小学校3年生で9歳の時、今は小さい自分も大人になり、会社に勤めるだろうという、訳の分からない不安に包まれていた。

 その自分があっという間に22歳になり、銀行に通う通勤バスの吊革にすがっていた。まるで時空を瞬間移動したみたいだとその時感じたものだ。

 ここまでくれば、死なんて、すぐやって来る。

死ぬために生きる

 65歳になると、「死ぬために生きる」と考えるようになる。あと、約20年後に死ぬとき悔いを残さないように生きることだ。

 調子のよいことばかり続いて、いい思いばかりしていると心がおどり、死を目前として未練ばかりが残ってしまうのではないか。

 自分の力量が足りなかったと反省しながら息を引き取るのが最も理想か。

 だから、やはり挑戦し、自分の知恵を出し尽くし、もうこれ以上出来ないというところまで自分を追い込むしかないのではないか。

 自分を追い込むとは、私の場合「技術革新」である。この25年間に取得した墓石に関する特許は7件、実用新案登録は2件、意匠登録は1件、商標登録は2件である。その他、一関霊園やみんなの墓、猊鼻渓の運太郎など新しい商品を生み出してきた。

 失敗も多い。最後は失敗したことを反省しながら安らかに死にたい。だから、もう少し成功したり失敗したりしなければならない。

2018年12月 6日 (木)

猫になれば猫になったで大変

 猫にでもなろうかなんて、安易な考えでは猫に失礼だ。

 猫になれば猫になったで、その世界で生き抜くことは大変だ。

 猫の中の猫、猫の中で一番にならなければ幸福に暮らせない。

自分の特性を生かして生きる

 人生で成功するためには、自分の特性を生かして生きることだ。猫は私の特性ではない。

 また、猫は猫なりに生存競争は大変なのだ。仮に私が猫になったとしても、猫社会でいじめられて落ちぶれた人生を送ることになるだろう。

 やはり、人間として、しかも私の特性を最大限生かせる場所で、一生懸命生きるしかないのだ。それが幸福に生きる道である。

猫になる

 65歳までやりたい放題やって来た。大きな企業を創業することは出来なかったが、自分の体でやってみたいことはほとんどやった。

 誰も見ていないところで、太平洋に一人で泳ぎ出したことを思い出すと、溺れたら死んでしまうと、今でもぞっとする。高いところが苦手なので、飛行機からダイビングしたいとは思わないけど・・・。

 じゃぁ、これからどうしたいかと考えていたら急に、猫にでもなったらどうなるだろうと思った。でも、猫になるくらいの気持ちで生きたら、何にでもなれるかも知れない。

 深く考えないで、思い切って何にでもなってみればいい。

2018年12月 5日 (水)

失敗の中に成功の種子有り

 失敗そのものの中に成功の種子が隠れている。

2018年12月 4日 (火)

真の願望

 真の願望とは、

 どんな苦難をも受け入れようとする心構えのことである。

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 銀行を辞めれば、

 もっと楽な仕事につけるなんて考える人間はいない。待っているのは苦難しかないことは誰でも知っている。

 しかし、苦難を乗り越えたとき、そこには考えられない楽園があった。苦難を乗り越えること自体が願望そのものかも知れない。

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 三浦雄一郎氏が86歳で南米大陸の最高峰であるアコンガグア、標高6962mに挑戦するという。今回は医師も無謀だと警告する。

 それでも挑戦しようとする彼こそ、真の願望の持ち主だと思った。

2018年12月 3日 (月)

やらなければならないものはやった

 私が興味あるのは「やらなければならないもの」。

 生きているうちにやらなければならないものをやってみるのが興味あること。

 でも、65歳の今まで、やらなければならないものは一応やったような気がする。あと、やらなければならないものは何だろうと思う。

 ・・・・・・・。 

モチベーション

 生きるとはモチベーションを維持すること。

 モチベーションとは「やる気」。

 やる気とは興味。

 生きるとは何かに興味を持つこと。

2018年12月 2日 (日)

予約

 今日、ふと思い立って、年末の休みになったら行こうと思っていたところに予約の電話入れた。

 そうしたら、もう予約がいっぱい入っているとのこと。たまたま空いている時間があって入れてもらった。

 今回のことは、何カ月も前から考えていたけど、もう12月になっていたのだ。しかも、1カ月前に予約でいっぱいなんて・・・。

 あっという間に時間は流れている。

やはり母

 私のデザインの件、社員も娘も妻もOKしているのに、母に見せたら「少しここが気になる」と言った。そのことが気になってよく検討してみると、やはり母の言うとうりだと気づいた。

 そこでもう一度手直しして、今度はどうかと聞いたら、やはり‟同じところ”が「気になる」と言う。結局、そこをいじくっているだけではダメなのだと、根本的に見直すことにした。

 試行錯誤してやっと出来たので、今朝、三たび見てもらった。母は、「すごく良くなった」と言った。OKだという。

 誰も気にしないようなところでも、母親は見ているのだ。さすが、生まれてから65年私を見続けている母親だと感心した。

 そういえば、、新築した我が家の設計も、庭の石垣も全て母親の考えをもとに作ったものだった。

 現在、母は85歳だけど、まだまだ相談しなければならないことがあるかも知れないと思った。

2018年12月 1日 (土)

老後の備え

 老後の備えを死ぬ間際にやるやつはバカ

 だから、今どき金儲けに興味ない

                       -高須医院長-

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