人生は神の演劇、主役は自分
人生は、神が筋書きを描いた「演劇」である。
そして、その主役は「自分」である。
しかし、「主役」だって「俳優」。
少々のアドリブはいいけど、筋書き、セリフを勝手に変えてはならない。
勝手に演じた人は、皆人生に問題を起こして去っている。
神の脚本、演出に沿って、しっかり「主役」を演ずればいいのである。
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人生は、神が筋書きを描いた「演劇」である。
そして、その主役は「自分」である。
しかし、「主役」だって「俳優」。
少々のアドリブはいいけど、筋書き、セリフを勝手に変えてはならない。
勝手に演じた人は、皆人生に問題を起こして去っている。
神の脚本、演出に沿って、しっかり「主役」を演ずればいいのである。
豊かさを求めるなら、挑戦しないことである。現在の状態は、挑戦して地獄に落ちるよりは"豊か”なのだ。
しかし、地獄に落ちないという"豊かさ”と引き換えに、"生きる希望”を失ってしまう。強烈な個性は影を潜め、平凡に生きようという男たちがウヨウヨ徘徊する。
反対に、挑戦することを選べば、大金の出費や借金を余儀なくされ、場合によっては地獄が待っている。しかし、生きる本能が刺激され、希望が湧いてくる。希望は人生そのものである。
私は、豊かさを求めた結果、生きる希望を失っていることに気が付いた。生きるために挑戦しなければならない。何らかの富を求めているのではない。生きる希望を持つために、挑戦するのだ。
普通の商品でいくら頑張っても、価格競争に巻き込まれるだけでうまくゆかない。
自分の得意技、つまり「オタク」で勝負するのだ。
「オタク」だから、朝から晩まで考えたり、やっても全然疲れない。
「オタク」だから、一般の人が理解できないレベルの仕事が出来る。
競争社会を生き抜くためには、「オタク」=専門家になるしかない。
自分の「オタク」が何なのか、まず探すことから始めるべきである。
現状に満足していると、挑戦心がわかない。
挑戦しないという自分に満足しないことだ。
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うまくゆかないから、あれこれ考える。
お墓の納骨方式も、従来の方法を変えたいと思った。
あれこれ試行錯誤するのが私の「オタク」。
すっかりはまってしまったけど、数カ月で解決するようなものではなかった。
やっとひらめいたのだから「特許」を取れた。
それが「あかり」「千年の祈り」である。
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だから、失敗した時が変化のチャンス。
私の「オタク」が起動するときである。
人は
挑戦をやめたとき
豊かさと引き換えに
生きる希望を失う
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新生を飛躍させようと、必死になっていたとき
業績向上とは裏腹に、お金は全く無かった。
このまま拡大し続ければ、いつもお金不足になると感じた私は
挑戦を止めれば、お金は貯ってくると考え実行した。
そして、思う通りの結果になり、私は豊かになった。
しかし、いつの間にか自分の心が死んでいるではないか。
豊かになったのに、心は小さな世界に閉じこもったまま死んでいる。
挑戦することで、資金を失うことを恐れた結果
生きる希望を失ってしまったのだ。
当社の最大のヒット商品、特許墓石「あかり」の"ラクラク納骨”は、「あかり」の根本的な構造上の問題点(欠点)を克服するところから生まれた。
「あかり」墓石で納骨するためには、経机を解体しなければならなかったが、解体過程で扉が壊れる問題点があった。
その問題を解決したのが、「あかり」発売から6か月後のこと。経机を解体しないでそのまま納骨する、全国で初めての"ラクラク納骨”だった。
失敗は成功の最大のキッカケ、原因になると思う。アイデアで、欠点ある人や物を180度変えられる。アイデアを出す(見つける)のが社長の仕事である。
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短気な社長も、のんびりの社員も、アイデアですごい働きをするのだ。
短気な(気が短い)私は、現場のスピードが遅いのがいつも気がかり。
したがって、いつも私の心は穏やかでない。ピリピリ、カリカリ・・・・。
しかし、私は相手のバイオリズムに合わせてジッと我慢している。何十年と働いてもらうためには、ケツばかり叩いていたのでは破綻すると考えるからである。
そこで、早出や遅くまで仕事をしてもらうよう要請したり、外注したり・・・。時間や人数をかければ、多少ゆっくりでも仕事は前に進む。
私に出来ることは、相手のバイオリズムを維持しながら、私の目標を達成すること。社員にとって、当社が一番働きやすいと思ってもらうのが社長の仕事・・・と、自分に言い聞かせ、自分にプレッシャーをかけている。
出来なければ、誰でもない、社長である私が全ての責任を負うようになるからである。
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したがって、設計や部材の手配、段取りには相当の時間をかけて準備する。予算も大事だ。
皆が当たり前のように仕事が出来るのは、私が他社との連携を綿密にやり、必要な機械や部材を準備して段取りしている成果でもある。
気仙沼店の事務所部材が入った。懸念の基礎に設置したボルトの位置も合格点。
まだまだ気が抜けないけど、とりあえず安心。
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次は、展示墓石の設置。展示会ギリギリ間に合うか。
紅白の餅(もち)でお祝いだね。
いくら自分が優秀だからといって、一人で何が出来る?
な~んにも出来ないのだ。ダメだと"ダメだし”するより、どう手伝ってもらうか考えた方がいい。自分がリーダーになって皆を導けばいいのだ。
私は、サラリーマンの若い時から、そういうクセをつけて、いろんな後輩や先輩たちと一緒にやってきた。結果、どこより強い組織を作り上げたのだ。
優秀なのが一人や二人いても、新生は守れない。ダメだというような人が、優秀な人を支えているんではないの?
仮に、優秀だと思う人が独立したら、だ~れもその人についてゆかないね。皆のありがたみがその時分かるけど、その時は手遅れだね。
気仙沼店の工事でありがたいのは、工事部が2・5チーム入っているのだが、お互いに連携してやってもらっていること。
どんなに優秀でも、相手の足を引っ張っていたのでは、全体として1人前以下になってしまう。相手のダメ出しばかりしていたのでは、社員20人がバラバラ、ついには空中分解してしまうのだ。各自1人(1チーム)でやってもらっているようでも、私は全体のバランスを見ている。
優秀な人も必要だが、私が何よりもバランスを意識するのは、それが成功する組織にとって、何よりの優先事項だと教えられたから。
お互いに助け合いながらやれば、それぞれが1人分以上の働きが出来る。私のように、何も出来ない(1人分以下の)人間が、25年以上も社長として(数十人分の働きをして)成功している秘訣がバランス感覚である。
3月19日からの展示会に間に合うように皆が一致団結して頑張ってほしい。
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連携の基本は「笑顔」だな。真面目な顔もいいけど、結局は「笑顔」だ。お客様に「笑顔」になる前に、まず、家族内で「笑顔」、次に、会社内で「笑顔」。
毎回朝礼で言っている当社の優先順位は、1が自分、2が家族、3が会社(社員)、4がお客様、5が世の中。
つまり、お客様より社員を優先している。1、自分を大事にして、2、家族を大事にして、3、社員と仲良くするから、4、お客様に心からの笑顔が出来るんではないかな。5、そうして世の中を幸福にするのだ。
家庭でも、会社でも、地域でも、人間関係が一番大事なのよ。
相手に優しくしてればいいのよ、結局。
そういう人が一番なのよ。
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人間って、「人の間(あいだ)」って書く。
「人の間」に入って、優しくするのが人間。意地悪する人間は「ひとでなし」。
「お金」をつくった(貯えた)としても不十分、仕事をつくらねば。
「仕事」をつくったとしても不十分。「人」をつくらなければならない。
「人」がしっかりしていないと、お金も仕事も一瞬で崩れる。「人」が出来ていない会社は、どんなにお金があり、仕事が出来たとしても、続かないものだ。
まず、社長である私。そして、営業の担当者。さらに工事担当者。外注(製造、工事、消耗品納入者、機械屋、車屋さん、広告屋さん等)も大事。当社は、皆と心が通じるよう心掛けている。
そういう意味で、本社、特に総務機能が大事である。総務が強い会社はつぶれないと言われるゆえんだ。もっとも、どうしても、ついてこれない人間は、自ら去ってもらうしかない。私が切らなければならないこともある。優しさも大事、厳しさも大事。それがプロの世界である。
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社内では、お互いに「けん制」し合うことも多い。あの人はダメだ、この人はダメだ、と私にそう言ってくることがあるが、その通りのところもある。
しかし、小さな虫にも「5分の魂」で、お互いに言い分があるみたい。ダメはダメなりに一生懸命やっているようだ。
家庭でいえば、優秀な弟(妹)が、ダメな兄貴をバカにするようなことでは、どちらも不幸になるのではないか。助け合えばいいこと、ダメな兄貴を弟(妹)が助ければいいことではないか。会社も家庭も同じ。
そのことがどうしても理解できないのなら、私は優秀な弟(妹)を切る。人間としてどうあるべきかが問われるのである。中国の故事「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」。
もっとも、当社は、私のこの気性を皆が理解しているので、最終的に平静である。私が社長でなければならない理由、何もしない私がここにいる理由である。
夢は追いつくものでも、飛びつくものでもない。
夢は追いかけるものである。
夢に追いついたと思う心を「慢心」というのではないか。
地方銀行員だった私が、地元に戻って土着(どちゃく)したいという夢に向かい、地元の信用金庫に転職して、もがき、さらに、独立し奮闘してきた結果、なんとか一人前になり、夢が叶った気がしている。
しかし、夢に追いついたなどと思うのは、「慢心」以外の何ものでもない。
夢は、追いつくものでも追い越すものでもない、追いかけるもの。そういう夢を常に設定しなければならないと思う。
今日は、気仙沼店の建物、基礎生コン打設。
アンカーボルトを、ミリ単位の位置、高さでセット。最も緊張する一日となる。
気仙沼店は、2月19日が事務所の建前。
朝から、一気に建ててしまう。
気仙沼店に、「大売出し」の旗を立てる。
看板がたとえ大きいとしても、広い土地でどのくらい目立つか疑問は残る。そこで、看板の隣や展示場周辺に「大売出し」の旗を立てる。近いうちに「大売出し」が始まりますという宣伝が必要だ。
本来は、2月の初旬から始まる「大売出し」が、1カ月も伸びるというのは致命傷である。しかし、展示場が整備なっていない、事務所も来週以降しか建たない。せめて、看板を立て、「大売出し」の旗を立て、臨戦態勢に入る。
戦国時代に秀吉が取った戦法でゆくしかない。
「看板」を建てるというのは、工事進行上の問題だけではなかった。
「ここに新生が移転します」という、絶大な"広告効果”があったのだ。「看板」が立つという意味は大きい。これで、気仙沼の人達は安心したのではないか。
移転し、新装オープン予定の「気仙沼店」に今日"看板”が立った。
気仙沼市の皆様に、新生が移転するという広告をまだ出していなかったので、どういう方法にするか迷っていた。移転のみを知らせる新聞折込では、経費がかかり過ぎると考えたからだ。
既存のお客様には、「年賀状」で移転する旨は伝えていたが、新しいお客様に、新生気仙沼店が無くなったと勘違いされないか心配だった。
横3.6メートルの大きな看板は、新生がこれから新しい地で「旗揚げ」するという"意思表示”には十分だ。やっと、少し肩の荷が下りた。3月の展示会に向けて一歩前進である。
社員教育には、技術的なこと以外、精神的なことを伝えるのに、最低10年はかかる。
社会人としての考えを共有するのが目的。社会人とは、家庭人、会社人、地域人として、どのように考え、行動しなければならないかという基本的な考えである。
「教本」があり、それを音読し、私が解説する。家庭でも、夕食で一堂に会した時に、やったらいいのではないかと考えている。木を育てるのに10年、人間を育てるのに100年かかるという。
最初の10年が大事だ。
もっとも、創業時は、社長が①経営者であり、②社員であり、③オーナーである。全て一人でやらなければならない。
それが当たり前。したがって、目が回るくらい忙しく、365日、24時間フル活動。
そうしないと、会社は動き出さないものだ。
会社とは
①経営者と
②社員と
③オーナー
で、成り立っている。
①経営者の仕事は、(1)全ての設備を計画、実行し、(2)商品を決定し、年間収支をプラスに導く企画を立て、(3)全ての人事=社員や外注の手配をすること。
②社員の仕事は、経営者が準備した設備と、商品と、社員を利用し、お客様と契約し、商品を引き渡し、代金を回収したりメンテナンスすること。
③オーナーは、会社に資本を提供し、経営者を監視し、投資資本が正常に回転しているかチェックすること。
私の子供たちが、仕事全般(契約や回収、管理的な仕事など)が分かるようになったと言っても、②の社員の範囲の仕事に過ぎない。①の(1)設備全般を把握しているわけでも、ましてや、設備する能力がある訳でもないし、(2)商品を開発しているわけでもない。
また、①の(3)一番大事な「人事」が分かっていない。人事というのは、社員を評価し、賞罰を決め、実行すること。現在は皆と一緒に仕事するのが精一杯で、たとえ、リーダー的立場にあるとしても、人事能力(社員を雇用したり、解雇したりする能力)があるとは言えない。
さらに、私は③オーナーとして、会社に数億円の資金を提供し、経営者(現在は私自身)の設備計画、実行、商品開発などの設備資金、給料などの運転資金を手助けしている。
会社の後継者になると言っても大変。難題ばかりである。
7日(金)~11日(火)まで、一関店で「墓石展示会中」。
お客様多し。
67歳となり、還暦(一回り)を過ぎ、二回り目の人生が始まったばかり。
一回り目は、主に成功へ向かう人生だったから、二回り目は、失敗を研究する人生でもいい。表(成功)と裏(失敗)が分かって、人生の全体像が明らかになると考えるからである。
もっとも、失敗が解明されれば、失敗しない人生になる。
つまり、二回目の人生は、成功を目指す人生ではなく、なるべく失敗しない人生を歩きたい。だからといって、新しいことに挑戦しないというのではない。どんどん新しいことに挑戦してゆく。
成功を目指すのも、失敗しないように生きるのも、どちらも挑戦的でなければつまらない。生きている意味がない。
仙台にリベンジしたいけど
一関にいて
仙台の「理想像」語っても
仕方ないんじゃない?
私の得意技、というか、我が家代々の特性。
①経理(会計)
②法律(マニュアル)
③アイデア(発明)
死ぬまで、現役。
誰も分からないで困っているものについて、私が理想と考える「全体像」と価格を示す。
墓石セットもそうだ。一関霊園という全体像を示して、どのくらいの価格で購入できるか提示した。
誰もやったことのないものを提示すること、それが私の仕事である。
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スマホとかも、今まで誰もやったことのないものを提案したから、皆が飛びついたのである。
既存の商品では、価格競争に巻き込まれるだけだ。
まともに生存していること自体が奇跡。・・・自分のこと。
①肉体的に
②社会的に
③経済的に
全て、いつ死んでもおかしくない状況だった。よく今まで生きてきた。
①冒険好きな私は、命を落とすような危険な場所に行った。たとえば、小学生の時、数十メートルの石灰岩の急な崖登ったり、スズメの巣を取りに総二階の屋根に上ったり・・・。足を滑らしたら死んでた。海は、誰も行かないような沖に一人で泳いでいった。・・・今考えるとぞっとする。
②そもそも、品行方正ではない。社会的に問題ある行動も結構あった。
③銀行を辞めたことが、どんなに経済的に危険なことか、いろいろ失敗を経験するにつけ分かってきた。多くの失敗を、こりもせず繰り返してきた。
そんな私が、分かったことを言って生きている。
今朝、NHKのテレビで、のり漁師の徳永義明氏が「ラ、カンパネラ」をピアノ演奏するのを聞いた。
彼は、パチンコで2ケ月に70万円損して、ピアノ教師の妻から注意されたのをきっかけに、ピアノで妻を見返してやろうと、全くピアノに触ったこともなく、音符も読めないのに、ネットの動画サイトで鍵盤の位置を確認しながら練習して、とうとう「ラ、カンパネラ」を弾けるようになったという。しかも、50歳を過ぎているおっちゃん。
真っ黒い顔した漁師のおっちゃんが、プロ並みに演奏する様子は、いろんなテレビで取り上げられ、今や有名人に。一方、ピアノ教師の妻は、その曲は難しすぎて弾けないという。
何でも、一生懸命やれば出来るんだな。人間って、すごいこと出来るんだな。
そればかりでない。50過ぎのおっちゃん達に、俺も何かやれるかも、という夢を与えた。私もこれから何か始めなければ、と夢を持った。やれば何でも出来る。やりたいことをやればいい。
どうせやるなら、すごいことに挑戦したい。
真理を求めることを、「発菩提心」というとか。
菩提心とは、悟りの世界を求めるということ。
その菩提心は、大事なものを「失う」ことによって、得られる境地とか。
無常心は、大事なものを「失う」ことによって、解されるとか。
悟りたいけど、・・・・・・悟りの世界に行きたくないような・・・・。
しかし、結局、皆、悟らせられるのです。
欲望にまかせて行動していたら、死ぬ。
この年(とうとう67歳)になって、食欲が旺盛。食べても食べても、もっと欲しくなる。食べた分は腹筋、片手腕立て伏せなど、ハードな運動で燃焼させているから体重は太らないのだが、こんなに食べたいという「欲求」って「いいんだろうか?」と自分を見つめていた。
そしたら、1か月くらい経った頃「下痢」。
やっぱり、食べ過ぎだったのだ。欲望に対し、体(=宇宙の原理原則)はNO(ダメ!)を突き付けてきたのだ。そこで、私は、やはり「胃」をいたわらねばと気付き、節制することにした。
欲望にまかせて行動すること。出来るのだからやって何が悪いと考え、やること。・・・それでは、死を招くだけだ。・・・と思う。最近は、食欲をグッと抑えている。5分も我慢していると、食欲もおさまってくる。
それでいいのだ。それがまともなのだ。
失敗したくて失敗する人などいない。
失敗は、道が違っているという、天の教え。
それを、直せばいいだけのこと。
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