菅官房長官
菅官房長官が立候補だと。
安倍路線を引き継ぐというさらに強力なメッセージ。
これで決まりだな。
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理由は、8月29日ブログと同じ。
ただ、名課長は、名社長あらず。
名番頭だからといって、名党首になれるわけではないから、
河野さんまでの中継ぎと言うことだな。
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菅官房長官が立候補だと。
安倍路線を引き継ぐというさらに強力なメッセージ。
これで決まりだな。
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理由は、8月29日ブログと同じ。
ただ、名課長は、名社長あらず。
名番頭だからといって、名党首になれるわけではないから、
河野さんまでの中継ぎと言うことだな。
全く無駄なく生きる人生など味気ない。
失敗したり、思うようにいかなかったり、面倒だったり・・・、そこに真理が隠されている。人生の本当の価値が潜んでいる。
回り道、苦難の道に、幸福の入り口がある。
いつまでも、安全な地べたをはってないで、
自分の翼を信じて、
崖から飛び出してみろ。
トップにいて、矢面に立っていると、反対派やマスコミなどから集中攻撃を受ける。むしろ、バックにいて、黒幕として支配する方がパワーを発揮しやすい。
誰でも一度はやってみたいという首相の座にすわって、実績を残したのだから、これからが本番。本当に自分のやりたいようにやる時がきた。
そのためには、次期首相は、自分の言うことを何でも聞いてくれる岸田さんということだろう。首相を辞める人間が、次期首相の話をする立場にない、なんて言っているけど、そんなことはない。岸田さんを立てて、黒幕として、憲法改正など、自分の思い通りにやり遂げようと考えている。
安倍首相が、これからも全てを支配するということを誇示するセレモニーが、31日(月曜日)に予定されているアメリカのトランプ大統領との電話会談だ。
アメリカ側からの要請で設定されたと言っているが、ということは、アメリカは安倍首相が裏で政権を操作できなければ相手にしないよと言うメッセージをよこしたことになる。
辞める人間にアメリカ側からラブコール受けるなど、そもそもありえないことではないか。アメリカの言う通りにしなければ成り立たないのが日本である。とすれば、既に方向は決まっているということだ。
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森友、加計学園や花見など、野党やマスコミなどが騒ぎ立てるやっかいな問題を、辞任でバッサリ切り捨て、いよいよ、やりたいように政治を動かしてゆく時が来た。歴代最長期間首相の座にいたというレガシーまで打ち立てれば、もう首相の座なんかどうでもいい。
これから、実をとる時代がスタートしたということである。
そして、秋に総選挙をやって、岸田さんの任期を伸ばし、安倍首相の院政体制を盤石にしようとしている。この選挙も、流れから言って、自民党勝利間違いない。立憲民主党が合併などと騒いでいるから選挙どころではないのだ。安倍首相は、どこまでも選挙で運がいい人間だ。タイミングの取り方がうますぎる。
少額のお金も節約して生活している一方、興味があるものに対しては出費を惜しまない。
外食するのにも、おいしいもの食べる目的で行くことはない。家で食べた方が節約できるから。しかし、子供達などに、外食というものを経験させるためにはどんどん出かける。
食べることは節約できるが、経験は節約できない。大事なことにはお金を惜しまない。
同じことをするのでも、目的次第で、対応が全く異なってくるのだ。デートするためなら、数万円の食事も安いものではないか。
今、約20の目標を書いて、生きている。
あらたまって書くというより、思いつくまま次々に書いてゆく。そうしているうちに、いくつか重要な目標があることに気付くかも知れない。
とにかく、毎日、思いつく目標をどんどん書いている。
直接、目標に向かうのではなく、「布石」を打ってゆくような人生の方がうまくゆくかも。
私は、「・・・したい」と思うと、即行で達成してしまう。
ほかの人が1週間、1ケ月、1年、3年とかかるところを、3日、10日、1ケ月、3カ月でやってしまう。
その理由は、特に目標が無い時でも、いつも心身を鍛え、資金を準備し、何にでも対応できるよう「全方位で鍛錬」しているからである。
だから、目標が出来て、そこから準備するのではなく、既に準備しているものを組み合わせるだけで即行で完成してしまうのだ。
日々、目先の仕事と関係ないような勉強もやっているのは、いざ欲しいと思ったとき、即対応できるようにするためである。
常に10個以上の目標を持つ。
目標実現後に襲ってくる、目標ロスに陥らないために。
だからといって、何としても手に入れようとしているのではない。
得るは捨つるにあり、見切り千両、である。
50年も経てば、もうどうでもいいことなのだ。
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実現しない、見切るには、十分な理由が潜在しているのである。
私には、50年間待ち続けている願望がある。
今年中に、実現したいのだが、これだけ待って、頑張っているのだから、後は「運」次第である。
「強い願望」の、別の言い方は、「使命感」である。
運=信念=強い願望=使命感
とんでもない逆境で、打ち出した一手が、人生を大きく成功へと導く。
逆境で、へなへな顔する弱虫どもは、地獄に落ちるだけ。
運とは「人」
自分の人生を決定づける「運命の人」のこと。
信念とは
強い願望のことである
人生は「運」が全てだ。
なぜ、うまくいったか、「運」がよかったからだ。
そして、「運」は「信念」と「表裏一体」だ。
「信念」の持ち主に「運」がつく。
一昨日の私のブログに書いたように、なんとしてもやらねばと、土砂降り(どしゃぶり)の雨の中「信念」で突き進んだ先に、ぽっかり空いた空が現れた。「運」という奇蹟である。
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私は、お墓屋でありながら、石を磨けない、お墓を建てられない、文字も彫れない、機械も動かせない・・・。しかし、お墓屋の社長をやって、しかも、お墓不況となっている今も調子がいい。
何も出来ない私が持っているとしたら、何としてもやり遂げるという「信念」である。
職人が出来ないと言っても、私はいろんなアイデアを出して、必ずやり遂げる。信念がアイデアを生み出し、「運」をもたらすのだ。
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そして、私は全ての「運」を世の中のために捧げたいと思っている。
自分のためにだけ生きたくない。
私には、信念がある。
必ず出来る、何としてもやり遂げる。
私には、信念がある。
人生にとって、何が一番大事かと言ったら、
それは、信念である。
出来ないと思うヤツは出来ない。
やりたくないと思うヤツは出来ない。
やろうと思えば出来る。
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会社を始めたばかりのことだった。雨が土砂降り(どしゃぶり)で、職人は現場に行きたがらない。土木がよく分からなかった私は、なぜ、仕事したくないか分らなかった。要するに、雨だから、現場は無理と言うわけ。
しかし、やらねばならないという信念で、私は譲らなかった。皆を引き連れて現場に向かった。
そして、現場に着いたときである。来る途中土砂降りだった雨が、現場について、お墓の前に立った瞬間、ポッカリその場所だけ空が開いたのである。上空の直径は100メートルくらいか、地上からは10メートルくらいの円に見えた。
しかも、そこから太陽が差し込んでくるではないか。光線となって工事するお墓を照らしたのだ。
無事に工事を終えて帰ろうとすると、また、激しい土砂降りの雨が始まった。
わたしは、やろうとする私を天が助けてくれたのだと思った。やろうとする人間は救われるのだ。職人達は、あっけにとられたような顔で私を見つめた。
一関霊園が私だけの力でできたのも、そういう力が働いたからだと思っている。事業を始めて3年目の私が、何としてもやらねばと1億円近く借金して挑戦したのだ。
結局、天の力が働いて、無借金になり、順調過ぎるくらいうまくいっている。
自分にプレッシャーかけない者は、
神から、手厳しいプレッシャーをかけられる。
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体が怠けると、
神によって、苦労するような体にされる。
仕事を怠けたり、
どうしたら楽(らく)出来るか考えていると、
神によって、その仕事から追い出される。
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毎日、片手で腕立て伏せして、プレッシャーかけていると、
毎日、酒飲んでいる連中がどうなるか分かる。
20年後の未来のために必死になっていると、
万年、のんびりさぼっている連中の未来がはっきり見えてくる。
そういう連中と一緒に仕事したくない。
20年間、同じようなことを繰り返そうとしているなら、20年後には存在していない。
20年後は、新しい世界になっているからである。
このまま、いつもと同じように過ごせば、20年後も変わらない。ただ年とるだけ。
20年後の自分を想定し、その姿に向かって、何をすればいいかを考え、一歩ずつ進めてゆけば、想定通りの姿になる。
昨日は、自宅に盆飾りをして、夜には迎え火をたいた。
今日は、朝7時半から家の近くの山の墓地と、菩提寺にあるお墓の墓参りをした。
次女の彩がコロナの関係で帰省を延期したので、家族7人でのお参り。
明日、私は午前中、総代としてお寺を開けておく当番。
お盆行事が続く。
新規事業の申請書は、約100ページに及ぶ書類を仕上げなければならない。
特許申請が、約10ページなので、その十倍の量だけど、ほとんど仕上がってきた。今、最後の校正をしているところ。もう少しだ。
書類作成を、行政書士に依頼すると、100万円くらいかかると思う。というより、作成するための資料集めのほとんどを、こちらでしなければならないので、結局、自分でやってるのと同じこと。
行政書士に説明しているうちに、こっちでやってしまった方が早い。
ふと思った。全て自分の考え通りに出来るようになったな、と。
私が監督で、社員や回りの人達は俳優、女優である。長年付き合っているので、皆は、監督がやりたいことを、アドリブで演じられるようにもなっている。
私が原作を選び、脚本を書き、どう演じたいかしっかり伝えさえすれば、思い通りの作品が仕上がるようになった。ここまで来るのに25年の歳月と67歳の年齢が必要だったのだ。
いよいよ、これから、また新しい演劇、人生の始まりである。監督の私が、何を題材にした劇をつくるか、しっかり方向性、具体策を打ち出さなければならない。
何をやればいいのか、気付く人が一番の手柄。
やる方は何とかしてやる。やれなければ、その人と別れて、他の人に頼めばいい。必ず出来る。
何をやればいいか、分かる人が一番である。
霊園の写真撮りはやはり大変だった。中々撮らせてくれないのだ。
「私はいいです」「オレはいいよ」なんて数人に言われると、皆に言われているような気がするものだ。
しかし、そこは1億数千万円かけて一関霊園を創設した私のパワーの威力で、ほとんど全員をニコニコ撮り切った。誰かに頼んだら、「出来ませんでした」などど言い訳されて、最大のチャンスを逃すとこだった。
いざという時は、私のパワーだな。
お盆近くになり、朝から、墓石の引き渡し、来店客、問い合わせが多い。
この時期が一番緊張する。
今日は一関霊園の合同供養。
合同供養自体は例年通りだけど、行事の様子を写真に収め、新規事業の実績報告とする大事な日でもある。
参加者それぞれに協力してもらわなければならず、私の監督としての力量が資料の成否を決める。私の著書「万人幸福の教え」50冊(75,000千円分)も配布される。
いつになく緊張している。
73歳になる、気仙沼のK会長に「夢は何ですか」とたずねたら、「恋すること」だと。
本当のことを、あっさり、言ってのけた。
自宅のトイレは、修行のため、毎朝、伸伍君が行っているが、簡単にやっているから、便器の中が黄ばんでいたのが気になっていた。
今日は、日曜日で、出勤がいつもより遅く、また、少し早起きして時間が余っていたので、ふとトイレ掃除をしようと思った。
あらためてやろうとすると、中々出来ないものでも、思いついたときサッとやれば何でも出来てしまう。大分前から、しつこい汚れを取るジェル状の薬品を買って準備していたのだ。
というわけで、トイレの水あかも取れ、ピカピカ。気分いいね。
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私は何でも「すき間時間」でやってしまう。図面見るのも、書類チェックするのも、あらためてやろうとすると、皆、難しい案件ばかりだから、大変である。
しかし、私は「すき間時間」を使う。仕事は「アイデア次第」で良くも悪くもなる。そして、アイデアは「すき間」にいっぱい詰まっているのだ。
だから、皆が一生懸命考え抜いたものでも、私が「すき間」でチャックすると全く違った素晴らしいものに変わる。私は「すき間」だけで生きていると言っても過言ではない。
腹筋、腕立て伏せはダイエットのためだが、68キロの体重が、マイナス6キロの62キロになって、そこから動かない。
ダイエット自体が目的ではなく、目的とする体形を目指しているから、何キロになればいいのか分からないが、たぶん、57キロぐらいにならなければダメだと思う。
食べるのが楽しみだと思ったことはないけど、我慢しようと思うと、食べたくなるもの。最近、食事がやけに恋しくなった。好物のライスカレーを食べた日は、体重が増えるが、以前のように2杯目のおかわりしないようになった。
62キロから減ることはなく、62~63キロの間を行ったり来たりしていたが、今朝は、なんと61・4キロになっていた。61・5キロを下回るなんて今までになかったことである。
新しい領域に入ってきたかも。
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ジョギングすれば一気に減ることは分かっているけど、今は出来ない状態。汗かきたくない。
来年、4月以降からジョギング始められるかも。
そうしたら、目的も達成すると思う。
何もしなくても、草や木々が成長するように、人間も成長している。
孫たちの背丈もどんどん伸びてたくましくなってきたが、我々65歳以降の人間だって成長しているところはある。
身体的成長は弱まっているかも知れないが、夢はどんどん実現している。15年前挑戦してどうにもならなかったものが、今まさに実現しようとしているのが、新事業の資格取得だ。
実態が、夢に追いついてきたのだ。
何か特別なことをしてきたわけではない。目の前のやるべきことをしているうちに、いろんな力がついてきて、気がついたら夢に手が届くまでになっていた。来月、申請しようと思う。
また、崖の上にギリギリに建っていた我が家も、40年間の夢が叶い、平成20年に崖下の田を譲ってもらい大造成し、300坪程の庭が完成したのも、私には衝撃的な出来事だった。我が家の前に乗用車が止まった時は、夢を見ているようだった。庭の総幅は70メートルにも及び、現在は、ほとんどをアスファッルト舗装して、聖君のバスケットの練習場になっている。
思ったことは実現する。
個人的な夢も、今実現しようとしているものがある。皆、悩んでいても、私のような方法で解決しようとする人は、岩手県ではだれ一人もいないと思う。65歳を過ぎると、思い切って何でも出来る。この年になると、どうせ死ぬんだからと考え、何でもやってみようと思い切れるのだ。
そのために、常に自己改革に勤めている。挑戦できる体に仕上げているのだ。
昨年の夏から始めた、腹筋と腕立て伏せは、当然、今でも毎日継続している。腕立て伏せは、いつの間にか「片手」で出来るようになった。出来るとは夢にも思わなかったものだが、継続は恐ろしいパワーを秘めている。
これから、誰も出来ないようなことをどんどんやってゆきたい。捨て身でやれば、何でも出来ると思う。どんな夢が叶うか、楽しみである。
この年になって気付いたけど、私は何ともつまらない人間だ。
これといった趣味もない。87歳で多趣味の母親から、それでは死んでしまうんだからと、バカにされるくらい何もしない。
そういえば、夢中になって何かすることないなって、今頃思っている。
しいて言えば、仕事だけ。一つこの世に貢献していることと言えば仏事関係(お墓、霊園、法要など)でお世話していること。
今となっては仕方ないので、この道を突き詰めてゆくしかない。
突き詰めてゆくとは、私の場合、新しいことやるということ。新しいことを生み出さなければ、私が生きている意味がない。生きている以上、必死になって新しいことをやるしかない。
新しいことやっているうちは、私自身も新鮮である。
私は、よく「いいね」と言う。
多少、「ダメだな」と思っても、とりあえず「いいね」と言う。
すると、次第に「いいね」の状態になってくる。
「ダメだ」と言ってしまうと、どんどん状況が悪くなり、しまいにはどうにもならないくらい「ダメだ」になる。
家庭でも、職場でも、地域(小さな私の地域)でも、私がいなければまとまらない。
各自、自分勝手に、言いたい放題では(精神的な)殺し合いになるだろう。相手を言い負かすまで、攻撃を止めなければ、場合によっては、家庭も、会社も、地域もバラバラになる。
そういう家庭、会社、地域は多いんじゃないの?
私は、そういうのを絶対許さない。あるときは、暴力的に、ある時は法律的に、金銭的に、そして、人間的に必ず皆をまとめ、笑顔の組織を作る。何としても言うことを聞かない場合は、全パワーを導入し、組織から追い出すこともいとわない。
そのために、万一、いつゼロになってもやっていけるように準備を怠らない。
どの組織(家庭、会社、地域・・)も、良くなるも悪くなるも、リーダー(代表者)次第である。
大きな会社に入って、歯車の一部となるより、小さい会社で、全体を動かせる人になりたいなんてやっても、ほんの一部のお客様を相手に、日々同じ繰り返しの人生を送るような人生はいやだ。
毎日、常連のお客様を相手に、同じメニューを提供するような食堂では時代にうずもれてしまうだけ。全体を動かすと言っても、そういう食堂の全体を動かしてどうなんのよ。
自分のやっていることが、世の中全体に広がり、時代を変えてゆくようでなければならない。
そういう意味では、私のお墓作りは、地域でひっそりやっているように見えるけど、私のやり方が、商社を通して全国にマネされ、広がり、お墓業界を改革していった業績は大きい。
新しいことやるのでも、日本全体に及ぼすような意気込みでやらなけば、やる意味がない。誰かのまねごとをして、地域に小さく店を構えて、それで終わりではつまらない。
自分のやり方が皆にマネされ、全国に広がってゆくような改革的な仕事をしたいと思う。時代の歯車になりたい。
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